十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の32 大宰大弐高遠のものへおはしける道に・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 大宰大弐高遠((藤原高遠))の、ものへおはしける道に、女房車をやりて過ける牛飼童部、のろひごとをしけるを聞きて、かの車をとどめて、尋ね聞きければ、ある殿上人の車を、女房たちの借りて、物詣でせられけるが、約束のほど過ぎて、道の遠くなるを、腹立つなりけり。 大弐、言はれけるは、「女房に車貸すほどの人なれば、主は、よも、さやうの情けなきことは思はれじ。おのれか不当にこそ」とて、牛飼を走らせて、主のもとへやりけり。 さて、わが牛飼に、「この女房の車を、いづくまでも、仰せられんにしたがひて、つかふまつれ」と下知せられける。 すき人はかくこそあらめと、いみじくこそ思ゆれ。 この人、はかなくなられてのち、ある人の夢に、   ふるさとへ行く人もがな告げやらん知らぬ山路に一人迷ふと ながめて居給へると、見えけり。 いかなるところに生れたりけるにか、あはれにおぼつかなし。 ===== 翻刻 ===== 卅六太宰大弐高遠ノモノヘオハシケル道ニ、女房車ヲヤ リテ過ケル牛飼童部ノロヒコトヲシケルヲ聞テ、 彼車ヲトトメテ尋聞ケレハ、アル殿上人ノ車ヲ女房 達ノ借テ物詣セラレケルカ、約束ノ程過テ道ノ遠 クナルヲ腹立ナリケリ、大弐云レケルハ、女房ニ車カ/k177 スホトノ人ナレハ、主ハヨモサヤウノナサケナキ事ハ思ハレ シ、オノレカ不当ニコソトテ、牛飼ヲハシラセテ主ノモ トヘヤリケリ、サテ我牛飼ニ此女房ノ車ヲイツクマ テモ仰ラレンニ随テツカフマツレト下知セラレケル、ス キ人ハカクコソアラメト、イミシクコソオホユレ、此人ハ カナクナラレテ後或人ノ夢ニ、 古郷ヘ行人モカナツケヤラン、シラヌ山路ニヒトリ マヨフト ナカメテヰ給ヘルトミエケリ、イカナルトコロニ生レタ リケルニカ、哀ニオホツカナシ、/k178