十訓抄 第七 思慮を専らにすべき事 ====== 7の30 七条の南室町の東一町は祭主三位輔親が家なり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 七条の南、室町の東一町は、祭主三位輔親((大中臣輔親))が家なり。丹後の天橋立をまねびて、池の中島をはるかにさし出だして、小松を長く植ゑなどしたりけり。寝殿の南の廂(ひさし)をば、「月の光入れん」とてささざりけり。 春のはじめ、軒近き梅枝に、鶯のさだまりて、巳の時ばかり来て鳴きけるを、ありがたく思ひて、それを愛するほかのことなかりけり。時の歌詠みどもに、「かかることこそ侍れ」と告げめぐらして、「明日の辰の時ばかりに渡て、聞かせ給へ」と、ふれまはして、伊勢武者の宿直(とのゐ)してありけるに、「かかることのあるぞ。人々渡りて聞かんずるに、あなかし、鶯、打ちなんどして、やるな」と言ひければ、この男、「なじかは遣はし候はん」と言ふ。 輔親、「とく夜の明けよかし」と待ち明かして、いつしか起きて、寝殿南面をとりしつらひて、営み居たり。 辰の時ばかりに時の歌詠みども集り来て、「今や鶯鳴く」と、うめきすめきしあひたるに、さきざきは巳時ばかり必ず鳴くが、午の刻の下がりまで見えねば、「いかならむ」と思て、この男を呼びて、「いかに、鶯のまだ見えぬは。今朝はいまだ来ざりつるか」と問へば、「鶯のやつは、さきざきよりも、とく参りて侍りつるを、帰りげに候ひつ((「鶯のやつ」から「候ひつ」まで、底本なし。諸本により補う。))る間、召しとどめて」と言ふ。「召しとどむとは、いかん」と問へば、「取りて参らむ」とて立ちぬ。 「心も得ぬことかな」と思ふほどに、木枝に鶯を結ひ付けて持て来れり。おほかた、あさましとも、いふはかりなし。「こはいかに、かくはしたるぞ」と問へば、「昨日の仰せに『鶯やるな』と候ひしかば、いふかひなく逃がし候ひなば、弓箭とる身に心憂くて、神頭(じんどう)をはげて、射落して侍り」と申しければ、輔親も居集れる人々も、「あさまし」と思ひて、この男の顔を見れば、脇かひとりて、いきまへ、ひさまづきたり。祭主、「とく立ちね」と言ひけり。 人々、をかしかりけれども、この男の気色におそれて、え笑はず。一人立ち、二人立ちて、みな帰りにけり。興さむるなどは、こともおろかなり。 ===== 翻刻 ===== 卅四七条ノ南室町ノ東一町ハ祭主三位輔親カ家也、 丹後ノアマノハシタテヲマネヒテ、池ノ中島ヲ遥ニサ シイタシテ、小松ヲナカクウヘナトシタリケリ、寝殿ノ 南ノヒサシヲハ、月ノ光入ントテサササリケリ、春ノ始 軒近キ梅枝ニ鶯ノ定リテ、巳時ハカリ来テ/k171 鳴ケルヲ、アリカタク思テ、ソレヲ愛スル外之事ナカ リケリ、時ノ哥読共ニ、カカル事コソ侍レト告メクラ シテ、アスノ辰ノ時ハカリニ渡テ聞セ給ヘト、フレマハシ テ、伊勢武者ノトノヰシテ有ケルニ、カカル事ノアルソ、 人々渡テ聞ンスルニ、アナカシ鶯打ナントシテヤルナ ト云ケレハ、此男ナシカハ遣ハシ候ハント云、輔親トク夜ノ 明ヨカシト待アカシテ、イツシカオキテ寝殿南面 ヲトリシツラヒテ、営居タリ、辰時ハカリニ時ノ哥ヨ ミ共集リ来テ、今ヤ鶯ナクト、ウメキスメキシアヒ タルニ、サキサキハ巳時ハカリ必鳴カ、午尅ノサカリマテ ミエネハ、イカナラムト思テ、此ノ男ヲヨヒテ、イカニ鶯/k172 ノマタミエヌハ、今朝ハイマタコサリツルカト問ヘハ間メ シトトメテト云、メシトトムトハイカント問ヘハ、トリテ参 ラムトテ立ヌ、心モ得ヌ事カナト思程ニ、木枝ニ鶯ヲ ユヒツケテモテ来レリ、大方浅猿トモ云ハカリナシ、 コハイカニカクハシタルソト問ヘハ、昨日ノ仰ニ鶯ヤル ナト候シカハ、イフカヒナクニカシ候ナハ、弓箭トル身ニ 心ウクテ、シントウヲハケテイオトシテ侍ト申ケレハ、 輔親モヰ集レル人々モアサマシト思テ此男ノカホ ヲミレハ、脇カヒトリテイキマヘヒサマツキタリ祭主 トク立ネト云ケリ、人々オカシカリケレトモ、此男ノ気 色ニオソレテ、エワラハス、ヒトリ立フタリ立テ、皆帰/k173 リニケリ、興サムルナトハ事モヲロカナリ、/k174