十訓抄 第六 忠直を存ずべき事 ====== 6の35 絵仏師良秀といふ僧ありけり家隣より火出で来ぬ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 絵仏師良秀といふ僧ありけり。家隣より火出で来ぬ。押し覆ひてければ、大路へ出でにけり。人の描かする仏もおはしけり。また、物もうちかづかぬ妻子なども、さながらありけり。それをも知らず、身ばかり、ただ一人出でたるをことにして、向へのつらに立てりけり。 火、はやわが家に移りて、煙・炎くゆりけるを見て、おほかた、さりげなげにてながめければ、知音ども訪(とぶら)ひけれども、騒がざりけり。「いかに」と見れば、向へに立ちて、家の焼くるを見て、うちうなづき、うちうなづきして、時々笑ひて、「あはれ、しつる所得かな。年ごろ悪(わろ)く描けるものかな」といふ時、訪ひ来たる者ども、「こはいかに。かくてはあさましきことかな。物の憑き給へるか」と言へば、「なんでう、物の憑くべきぞ。年ごろ不動尊の火炎を悪しく描けるなり。はや、見取りたり。これこそは所得よ。この道を立てて、世にあらむには、仏をだによく描き奉らば、百千の家も出で来たりなんずるものを。わたうこそ、させる能もおはせねば、物を惜しみ給へ」と云て、嘲笑ひて立てりけり。 そののちにや、「良秀がよぢり不動」とて、人々めであへりけり。 をこがましく((底本「をこましく」。諸本により訂正。))聞こゆれども、右府((藤原実資。[[s_jikkinsho06-34|前話]]参照。))の振舞ひに似たり。 ===== 翻刻 ===== 卅七絵仏師良秀ト云僧有ケリ、家隣ヨリ火出来ヌ、ヲシ オホヒテケレハ大路ヘ出ニケリ、ヒト ノカカスル仏モオハシケ リ、又物モ打カツカヌ妻子ナトモ、サナカラアリケリ、ソレ ヲモシラス、身斗只一人出タルヲ事ニシテ、ムカヘノツラ ニ立リケリ、火ハヤ我家ニウツリテ、煙炎クユリケル ヲミテ、大方サリケナケニテナカメケレハ、知音トモ訪 ケレトモ、サハカサリケリ、イカニトミレハ、ムカヘニ立テ家 ノ焼ヲミテ、ウチウナツキウチウナツキシテ、時々ワラヒテアハ レシツル所得哉トシコロワロク書ケル物カナト云時、 訪来ルモノトモ、コハイカニカクテハ浅猿事カナ、物ノ ツキ給ヘルカト云ヘハ、何条物ノ付ヘキソ、年頃不動/k98 尊ノ火炎ヲアシク書ケル也、ハヤミトリタリ、是コソ ハ所得ヨ、此道ヲ立テ世ニアラムニハ、仏ヲタニヨク書 タテマツラハ、百千ノ家モ出来リナンスル物ヲ、ワタウコ ソサセル能モオハセネハ、物ヲオシミ給ヘト云テ、アサ ワラヒテ立リケリ、其後ニヤ良秀カヨチリ不動トテ 人々メテアヘリケリ、ヲコマシクキコユレトモ、右府ノ振舞 ニ似タリ、/k99