十訓抄 第六 忠直を存ずべき事 ====== 6の19 白河院の御時天下に殺生を禁制せられたりければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 白河院((白河上皇))の御時、天下に殺生を禁制せられたりければ、国土に魚・鳥のたぐひ絶えにけり。そのころ、貧しき僧の老いたる母を持ちたるあり。その母、魚なければ、ものを食はざりけり。たまたま求め得たる食ひ物も食はずして、やや日数を経るままに、老いの力、いよいよ弱りて、今はたのむかたなく見えけり。 僧、かなしみて、尋ね求むとも得がたし。思ひあまりて、つやつや魚捕る術(すべ)も知らねども、みづから桂川((底本「葛河」))のほとりにのぞみて、衣にたまだすきして、魚をうかがひて、小き𫚄((魚へんに輩。ハヤ(鮠)。))を一つ二つ捕りて、持ちたりけり。 禁制の重きころなれば、官人、これを搦め取りて、院の御所へゐて参りぬ。まづ子細を問はる。「殺生の禁断、世に漏るるところなし。いかでか、そのよしを知らざらむ。いはんや、法師の形として、その衣を着ながら、この犯をなすこと、ひとかたならぬ咎(とが)、逃るるところなし」と仰せ含めらるるに、僧、涙を流して申すやう、「天下にこの禁制重きこと、みな承知するところなり。この制なくとも、法師の身にてこの振舞ひあるべからず。ただし、われ老いたる母を持ちて候ふが、ただわれ一人のほか頼みたる人なし。齢(よはひ)たけ、身衰へて、朝夕の食たやすからず。われ、また貧家にして、財なければ、心のごとくにとぶらふにあたはず。なかにも、魚なければ、物を食はず。この一天の制によて、魚鳥のたぐひ無きあひだ、身の力、すでに弱りたり。これを助けんがために、心の置きどころなきままに、いまだ魚捕る術も知らねども、思ひの余りに、河のはたにのぞめり。罪を行はるること、案の内に侍り。遁るべからず」と申す。 「ただし、この捕るところの魚、今は放つとも生きがたし。身のいとまを許(ゆ)りがたくは、これを母のもとへつかはされて、今一度あざやかなる味をすすめて、心安くうけ給を聞きて、いかにもまかりならむ」と申す。 これを聞く人、涙を流す。院、聞こしめして、養老の志浅からぬを、あはれみ感ぜさせ給て、さまざま、物ども、馬・車に積みて、たまはせて、免されにけり。乏(とも)しきことあらば、なほ申すべきよしをぞ、仰せ含められける。 ===== 翻刻 ===== 廿三白河院御時、天下ニ殺生ヲ禁制セラレタリケレハ、 国土ニ魚鳥類タエニケリ、其頃貧キ僧ノ老 タル母ヲモチタルアリ、其母魚ナケレハ物ヲクハサリ ケリ、適モトメエタル食物モクハスシテ、ヤヤ日数ヲ フルママニ、老ノ力イヨイヨヨハリテ、今ハ憑方ナク見ケ リ、僧カナシミテ尋求トモ難得、思アマリテ、ツヤ ツヤ魚トルスヘモ知ネトモ、自葛河ノ辺ニ臨テ、衣ニ/k66 タマタスキシテ魚ヲ伺テ、チヰサキ𫚄ヲ一二取テ モチタリケリ、禁制ノ重キ比ナレハ、官人是ヲ搦取 テ、院御所ヘヰテ参リヌ、先子細ヲ問ル、殺生ノ禁 断世ニモルル所ナシ、争カ其由ヲ不知況ヤ法師ノ 形トシテ、其ノ衣ヲ著ナカラ、此犯ヲナス事一方ナラ ヌトカ、ノカルル所ナシト仰含ラルルニ、僧涙ヲナカシテ 申ス様、天下ニ此禁制重キ事皆承知所也此制 ナクトモ法師ノ身ニテ此振舞不可有、但我老タ ル母ヲ持テ候カ只我一人ノ外タノミタル人ナシ、ヨハヒ タケ身ヲトロヘテ、朝夕ノ食タヤスカラス、ワレ又 貧家ニシテ財ナケレハ、心ノ如クニ訪ニアタハス、/k67 中ニモ魚ナケレハ物ヲクハス、此一天ノ制ニヨテ魚 鳥ノタクヒナキアイタ、ミノ力ステニヨハリタリ、是 ヲタスケンカタメニ、心ノヲキ所ナキママニ、未タ魚 トル術モシラネトモ、思ノ余リニ河ノハタニ臨リ、 罪ヲ被行事案ノ内ニ侍リ不可遁ト申ス、但 此取所ノ魚今ハハナツトモ難生、身ノイトマヲユリ カタクハ、此ヲ母ノ許ヘ遣サレテ、今一度アサヤカナル 味ヲススメテ、心安クウケ給ヲキキテイカニモ罷 成ムト申ス、是ヲ聞人泪ヲナカス、院聞食テ養 老ノ志アサカラヌヲ哀ミ感サセ給テ、サマサマ 物共馬車ニツミテ給ハセテユルサレニケリ、ト/k68 モシキ事アラハナヲ申ヘキ由ヲソ仰含レケル、/k69