十訓抄 第五 朋友を撰ぶべき事 ====== 5の18 安康天皇は御弟の大草香の皇子の家室容姿すぐれ給へるよし聞き給ひて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 安康天皇は、御弟の大草香の皇子((仁徳天皇皇子。ただし、続柄は安康天皇の叔父にあたる。))の家室((底本「窒」))、容姿すぐれ給へるよし聞き給ひて、使を遣はして乞はせ給ひけるに、領状を申されけり。御使する人、皇子に意趣かありけん、これを失ひ奉らんために、惜しみ給ふよしを謀り申しければ、御門、兵を遣はして皇子を討ちて、その室を取りて、わが后にし給ひけるほどに、あへなく御継子(ままこ)の眉輪王のために殺害せられ給ひにけり。 させる后のすすめにはあらねども、僻事(ひがごと)をもととして悪縁に契りを結び給へるにや。御門の御身にて、させる友にあひ給へること、ありがたし。 唐の太宗((底本「大宗」))の心かけ給へる女を、「小臣、契れる旨あり」とて、魏徴、いさめ申しければ、召さずしてやみ給ひける御情けには、似給はざりけり。 奈良の先帝((平城天皇))、世を乱り給ひしに、本意を遂げずして、かへりて出家に及び給ひけるは、尚侍薬子((藤原薬子))のすすめと聞こゆ。崇徳院の八重の潮路(しほぢ)までさすらひ給ひしも、みなもとは女房兵衛佐ゆゑとかや。 唐土(もろこし)の殷紂、周の幽王の后、褒姒・妲己とて、二人ながら化物にてありけるを、帝さとり知り給はず、ことに寵愛して、かの言ふままにふるまひ給ふあひだ、その国亡びにけり。さるべき前世の契りといひながら、帝の御心、おのおの愚かなるためしに引かれ給へり。「牝鶏の朝するは、家の索るなり」といふは、これなり。 妙荘厳王の邪見なりし、浄徳夫人の勧めによりて、悪報をひるがへして、善趣に至り給ひ、釈迦如来((底本「釈迦女来」諸本により訂正。))は瞿夷女((底本「瞿夾女」。諸本により訂正))に契りを結て、世々菩薩心を退かせず、ともに仏果を証し給へり。諸法の善悪随縁のことかくのごとし。 ===== 翻刻 ===== 十七安康天皇ハ御弟ノ大草香ノ皇子ノ家窒容 姿スクレ給ヘル由聞給テ、使ヲ遣シテコハセ給 ケルニ、領状ヲ被申ケリ、御使スル人皇子ニ意趣カ アリケン、此ヲ失ヒ奉ランタメニ惜給由ヲハカ リ申ケレハ、帝兵ヲ遣シテ皇子ヲ打テ、其 室ヲ取テ我后ニシ給ヒケル程ニ、アヘナク御ママコ ノ眉輪王ノ為ニ殺害セラレ給ニケリ、サセル后ノスス メニハアラネトモ、ヒカ事ヲモトトシテ悪縁ニ契ヲ 結給ヘルニヤ、帝ノ御身ニテサセル友ニアヒ給ル 事アリカタシ、唐ノ大宗ノ心カケ給ル女ヲ、小/k27 臣契レル旨有トテ、魏徴イサメ申ケレハ、召スシテ ヤミ給ケル御情ニハ似給ハサリケリ、奈良ノ先 帝世ヲミタリ給シニ、本意ヲトケスシテ、カヘリ テ出家ニ及ヒ給ケルハ、尚侍薬子ノススメト聞ユ 崇徳院ノ八重ノシホチマテサスラヒ給シモ、ミナ モトハ女房兵衛佐ユヘトカヤ、モロコシノ殷紂周ノ 幽王ノ后褒姒妲己トテフタリナカラハケ物ニテ有 ケルヲ、帝サトリ知給ハス、殊ニ寵愛シテ、カノ云 ママニフルマヒ給間、其国亡ニケリ、可然前世ノ契ト 云ナカラ、帝ノ御心オノオノヲロカナルタメシニヒカレ給 ヘリ、牝鶏ノ朝スルハ家ノ索ル也ト云ハ是也、/k28 妙荘厳王ノ邪見ナリシ、浄徳夫人ノ勧ニヨリ テ、悪報ヲヒルカヘシテ善趣ニ至リ給ヒ釈迦 女来ハ瞿夾女ニ契ヲ結テ、世々菩薩心ヲ退セス、 共ニ仏果ヲ証シ給ヘリ、諸法ノ善悪随縁事 如此/k29