十訓抄 第五 朋友を撰ぶべき事 ====== 5の6 中山の大臣と聞こえし人宰相成頼と契りて常に出仕の友なりけるが・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 中山の大臣(おとど)((中山忠親))と聞こえし人、宰相成頼((藤原成頼))と契りて、常に出仕の友なりけるが、宰相、にわかに道心発(おこ)して、出家して、高野に籠居せられたりける所へ、大臣、外記大夫といふ者の、ものに心得たるを使ひにて、出家のあはれさなむどいひやるさまにて、かのすみかの指図(さしづ)にくはしくせられけり。 さて、中山の入りに、かたかたの山ぎはに、ただそのままなる庵室を作り立てて、大臣も出家して、そこに住み給ひけるに、宰相入道のもとへ、「たしかなる使ひ給ひて。申すべきことあり」と言ひ遣られたりければ、「あやし」と思ておこせたるに、させることはなくて、「これらにて見まはれ」とばかりありけり。畳のへり、障子のありさままで、違ふところなかりけり。 帰りてそのよしを入道に語り申す。笑ひて、「上品上生の大渓山のたたずまひは、写しにくくこそ」と言はれけり。 また、「宰相に見えんとてこそ、出仕のたたずまひもまめなりしか」とこそ、大臣のたまひけり。 ===== 翻刻 ===== 五中山ノ大臣ト聞ヘシ人、宰相成頼ト契テ常ニ出 仕ノ友ナリケルカ宰相俄ニ道心発シテ出家 シテ、高野ニ籠居セラレタリケル所ヘオトト 外記大夫ト云者ノ物ニ心得タルヲ使ニテ、出家 ノ哀サナムド云ヤルサマニテ彼栖ノ指図ニ委 クセラレケリ、サテ中山ノ入ニカタカタノ山キハ ニ、只ソノママナル庵室ヲ作立テ、大臣モ出家/k8 シテソコニ住給ケルニ、宰相入道ノ許ヘ、タシ カナル使給テ申ヘキ事有ト云ヤラレタリケ レハ、アヤシト思テヲコセタルニ、指ル事ハ無テ、是 等ニテ見マハレトハカリ有ケリ、畳ノヘリ障子 ノ有様マテタカフ所ナカリケリ、帰テ其由 ヲ入道ニ語申、ワラヒテ上品上生ノ大ケイ山 ノタタスマヒハ、ウツシニククコソト云レケリ、又宰 相ニミエントテコソ、出仕ノタタスマヒモマメナリシ カトコソ、オトトノ給ケリ、/k9