十訓抄 第三 人倫を侮らざる事 ====== 3の1 和泉式部保昌が妻にて丹後に下りけるほどに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 和泉式部、保昌((藤原保昌))が妻(め)にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるに、小式部内侍、歌詠みにとられて詠みけるを、定頼中納言((藤原定頼))、戯れて、小式部内侍ありけるに、「丹後へつかはしける人は参りたりや。いかに心もとなく思すらむ」と言ひて、局の前を過ぎられけるを、御簾よりなからばかり出でて、わづかに直衣の袖をひかへて、   大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立 と詠みかけけり。 思はずに、あさましくて、「こはいかに。かかるやうやはある」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり。 小式部、これより歌詠みの世におぼえ出できにけり。 これは、うちまかせての理運のことなれども、かの卿の心には、「これほどの歌、ただ今詠み出だすべし」とは、知られざりけるにや。 ===== 翻刻 ===== 和泉式部保昌カ妻ニテ丹後ニ下ケル程ニ、京ニ哥 合アリケルニ、小式部内侍哥読ニトラレテヨミケルヲ、 定頼中納言戯レテ小式部内侍アリケルニ、丹後ヘ 遣シケル人ハ参リタリヤ、イカニ心モトナクオホスラムト 云テ、局ノ前ヲ過ラレケルヲ、御スヨリ半ラハカリ出 テ、ワツカニ直衣ノ袖ヲヒカヘテ、 大江山イクノノ道ノ遠ケレハ、マタフミモミスアマノハシ立 トヨミカケケリ、思ハスニ浅マシクテ、コハイカニカカルヤウヤ ハアルトハカリ云テ、返哥ニモ及ハス、袖ヲヒキハナチテ/k113 逃ラレケリ、小式部是ヨリ哥ヨミノ世ニオホエ出キニ ケリ、是ハウチ任テノ理運ノ事ナレトモ、彼卿ノ心ニハ 是程ノ哥只今ヨミ出スヘシトハシラレサリケルニヤ、/k114