十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の51 師頼多年沈淪して籠居せられたりけるが中納言に拝任ののち・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 師頼((源師頼))、多年沈淪して籠居せられたりけるが、中納言に拝任ののち、はじめて釈奠の上卿をつとめけるが、作法進退のあひだ、ことにおいて不審をなして、あらあら人に問ひけり。 その時、成通卿((藤原成通))、参議にて列座していはく、「年ごろ籠居のあひだ、公事、御忘却か。初々(うひうひ)しく思しめさるる条、もつとも道理なり」と言ふ。師頼卿、返事を謂はず、顧眄して、ひとりごちていはく、   入大廟毎事問云々 論語 成通卿、閉口す。後日に人に語りていはく、「思ひ分くかたなく、不慮の言を出だし、後悔千廻云々」。 この意は、孔子、大廟に入りて、まつりごとにしたがふ時、事ごと、かの令長に問はずといふことなし。人、これを見て、「孔子、礼を知らず」と難じければ、「問ふは礼なり」とぞ、答へ給ひける。 かの人の御身には、さぞくやしく思え給ひけんか。「これ、慎みの至れるなり」と云へり。 ===== 翻刻 ===== 師頼多年沈淪シテ籠居セラレタリケルカ、中納言ニ拝 任ノ後始テ釈奠ノ上卿ヲツトメケルカ作法進退ノ間 事ニヲイテ不審ヲナシテ粗人ニ問ケリ、其時成通卿 参議ニテ列座シテ云ク、年来籠居ノ間公事御忘却 歟ウヰウヰシク思召ルル条尤道理也ト云師頼卿不謂 返事顧眄シテヒトリコチテ云ク、入大廟毎事問云々 論語成通卿閉口後日ニ人ニ語云、思分カタナク出不慮/k93 言後悔千廻云々、此意ハ孔子大廟ニ入テマツリコトニ シタカフ時、毎事彼令長ニトハスト云事ナシ、人是ヲ見 テ孔子礼ヲ知スト難シケレハ、問ハ礼ナリトソ答給ケ ル、彼人ノ御身ニハサソクヤシク思エ給ケンカ是ツツシミノ 至レル也ト云リ、大相国宰相ニテオハシケル時、哥合セ/k94