十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の44 史大夫朝親といふ者ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 史大夫朝親((藤原朝親))といふ者ありけり。学生なりければ、ここかしこに文師にて歩(あり)きけり。若くて文章生にてありけり。ことのほか顔の長かりければ、世の人「長面進士」とぞいひける。世の常ならず、をこびたるものなり。 ある時、知りたる僧に輿車を借りて、物へ行きけるほどに、車低(ひき)かりければ、烏帽子を取りて手に持ちたりけり。 さて、引かれ行くほどに、法性寺殿((藤原忠通))、御歩きに参り会ひて、まどひ下りけるほどに、かの持ちたる烏帽子のこと、つやつや忘れにけり。 下りて後は、小家などにも入るべきに、「我は文殿の衆にて、おのづから御書沙汰の時は参れば」とて、大路にうづくまり居たりけり。 髻(もとどり)放ちたる者の、右の手に烏帽子さげたり。おほかた、御前の御随身、おとがいをはなちて笑ひけり。 ===== 翻刻 ===== 史大夫朝親ト云者アリケリ、学生ナリケレハ此彼ニ 文師ニテアリキケリ、若クテ文章生ニテ有ケ リ、事ノ外カホノ長リケレハ、世人長面進士トソ云ケ ル、世ノ常ナラスオコヒタルモノ也、或時知タル僧ニ輿 車ヲ借テ物ヘユキケル程ニ、車ヒキカリケレハ烏 帽子ヲ取テ手ニモチタリケリ、サテヒカレ行程ニ法 性寺殿御アリキニ参会テマトヒオリケル程ニ、彼モチ/k86 タル烏帽子ノ事ツヤツヤ忘ニケリ、下テ後ハ小家ナ トニモ入ルヘキニ、我ハ文殿ノ衆ニテオノツカラ御書沙汰 ノ時ハ参レハトテ、大路ニウスクマリ居タリケリモト トリハナチタル者ノ右ノ手ニ烏帽子サケタリ、オホ カタ御前ノ御随身オトカイヲハナチテ咲ヒケリ、/k87