十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の41 肥後守盛重は周防国の百姓の子なり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 肥後守盛重((藤原盛重))は周防国の百姓の子なり。 六条右大臣((源顕房))の御家人なにがしとかや、かの国の目代にて下りたりけるに、ついでありて、かの小童にてあるを見るに、魂有りげなりければ、呼び取りて、いとほしみけるを、京に上て後、供に具して大臣の御もとに参りたりけるに、南西に梅の木の大なるがあるを、「梅とらん」とて、人の供の者ども、あまた礫(つぶて)にて打ちけるを、主の、「あやつ捕らへよ」と御簾の内より言ひ出で給ひたりければ、蜘蛛の子を吹き散らすやうに逃げにけり。 その中に、童一人、木の本(もと)にやをら立ち隠れて、さし歩みて行きけるを、「優にも、さりげなくもてなすかな」と思して、人を召して、「しかじかの物着たる小童、誰(た)が供の者ぞ」と尋ね給ひければ、主の思はむ事を憚りて、とみに申さざりけれど、しひて問ひ給ふに、力なくて、「某の童にこそ」と申しけり。すなはち、主を召して、「その童、参らせよ」と仰せられければ、参らせけり。 いとほしみて使ひ給ふに、ねびまさるままに、心ばせ、思ひはかりぞ深く、わりなき者なりける。常に前に召し仕ひ給ふに、あるつとめて、手水(てうづ)持ちて参りたりける仰に、「かの車宿(くるまやどり)の棟に、烏(からす)二つ居たるが、一つの烏、頭の白きと見ゆるは僻事(ひがごと)か」と、無き事を作りて、問ひ給ひけるに、つくづくとまぼりて、「しかざまに候ふと見給ふ」と申しければ、「いかにも、うるせき者なり。世にあらんずる者なり」とて、白河院に参らせられけるとぞ。 かうほどの心ばせこそかたからめ。蔵人か申し様(([[s_jikkinsho01-40]]参照。))、まことに下卑(けび)たりけんかし。 ===== 翻刻 ===== 肥後守盛重ハ周防国ノ百姓ノ子也、六条右大臣ノ御 家人ナニカシトカヤ、彼国ノ目代ニテ下タリケルニツ イテ有テ、彼小童ニテアルヲ見ニ、魂有ケナリケレ/k76 ハ、ヨヒ取テ糸惜シミケルヲ、京ニ上テ後共ニ具シテ大 臣ノ御モトニ参タリケルニ、南西ニ梅木ノ大ナルカアルヲ、 梅トラントテ、人ノ共ノ者トモアマタ礫ニテウチケ ルヲ、主ノアヤツトラヘヨト御スノ内ヨリ云出給タリ ケレハ、クモノコヲ吹キ散スヤウニ逃ニケリ、其中ニ童 一人木本ニヤヲラ立カクレテサシ歩テ行ケルヲ、優ニ モサリケナクモテナスカナトオホシテ、人ヲ召テシカ シカノ物キタル小童、タカ共ノモノソト尋ネ給ケレハ、主 ノ思ハム事ヲ憚テ、トミニ申サリケレト、シヰテ問給 ニ力ナクテ、某ノ童ニコソト申ケリ、即主ヲ召テ、其童/k77 参ラセヨト仰ラレケレハ参ラセケリ、糸惜ミテツカヒ給 ニ、ネヒマサルママニ、心ハセ思ハカリソ深クワリナキ者ナ リケル、常ニ前ニ召仕給ニ、アルツトメテ手水モチテ 参タリケル、仰ニ彼車宿ノ棟ニ烏二居タルカ、一ノ烏 頭ノ白キト見ユルハ僻事カト無事ヲツクリテ問 給ケルニ、ツクツクトマホリテ、シカサマニ候ト見給ト申 ケレハ、イカニモウルセキ者也、世ニアランスルモノ也トテ 白河院ニ進セラレケルトソ、カウホトノ心ハセコソカ タカラメ、蔵人カ申様マコトニケヒタリケンカシ、/k78