十訓抄 第一 人に恵を施すべき事 ====== 1の22 野宮歌合判者は源順なりけり女房をあまた勝たせ給ひければ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 野宮歌合、判者は源順なりけり。女房をあまた勝たせ給ひければ、男の方より、   霜枯のおきな草とは名のれども女郎花にはなほなびきけり となむ言ひたりける。これは、   花色如蒸栗 (花の色は蒸栗の如し)   俗呼為女郎 (俗に呼びて女郎と為す)   聞名戯欲契偕老 (名を聞きて戯に偕老を契らむと欲せば)   恐悪衰翁首似霜 (恐るらくは衰翁の首の霜に似たるを悪まむ) と、順がか書けるによりて詠めるにや。いとおもしろし。同じ難なれども、やさしく思ゆかし。 栗を蒸すことは、いかにとかや、聞きつかぬ様に思ゆに、魏文帝、「与鍾大理書詞書((『文選』第42巻。鍾大理は鍾繇のこと。))」にいはく、   美玉白如截昉黒 赤擬鶏冠 黄侔蒸栗((底本ママ。『文選』は「美玉、白如截肪、黒譬純漆、赤擬鶏冠、黄侔蒸栗」)) とあるを見るこそ、「さることあり」と思えていみじけれ。 すべて歌の判は、その才学はさることにて、品(しな)高く、世にも重むぜらるる人のすべきとぞ。俊頼朝臣((藤原俊頼))は「十徳なからむ人は判者にあたはず」とぞ書かれける。 源中納言国信家の歌合を、俊頼の判じたるをば、若狭阿闍梨隆源、左衛門佐基俊((藤原基俊))など、おのおのをこづき、やうやうのことども書き付けたりけるにや。 これらは、世おぼえの少なく、人に用ゐられぬがいたすところなり。 十徳とは、世おぼえ・種姓高貴・和歌才学・口利き・古歌おぼえ、以下条々なり。 ===== 翻刻 ===== 野宮哥合判者ハ源順ナリケリ、女房ヲアマタカタセ 給ケレハ、男ノ方ヨリ/k53 霜枯ノオキナ草トハ名ノレトモ、女郎花ニハ猶ナヒキケリ トナム云タリケル、是ハ 花色如蒸粟、俗呼為女郎、聞名戯欲契偕老、恐 悪衰翁首似霜、 ト順カ書ルニヨリテヨメルニヤ、イト面白シ同難ナレトモ ヤサシク覚ユカシ、栗ヲ蒸事ハイカニトカヤ聞ツカヌ 様ニ覚ニ、魏文帝与鍾大理書詞書云、 美玉白如截昉黒、 赤擬鶏冠黄侔蒸栗 トアルヲミルコソサル事有ト覚テイミシケレ、スヘテ 哥ノ判ハ其才学ハサル事ニテ、シナ高ク世ニモ重セ/k54 ラルル人ノスヘキトソ、俊頼朝臣ハ十徳ナカラム人ハ判者 ニアタハストソ書レケル、源中納言国信家ノ哥合ヲ俊 頼ノ判タルヲハ、若狭阿闍梨隆源左衛門佐基俊ナ ト各オコツキヤウヤウノ事共書付タリケルニヤ、是等ハ 世オホエノスクナク人ニ用ラレヌカイタス所也十徳ト ハ世オホエ種姓高貴和歌才学口キキ古哥オホエ 以下条々ナリ/k55