発心集 ====== 第七第1話(76) 恵心僧都、空也上人に謁する事 ====== ===== 校訂本文 ===== 恵心僧都((源信))の、そのかみ、「空也上人、見奉らん」とて、尋ね来給へることあり。年たけ、徳高うして、ただ人とも覚えず。 いと尊(たつと)く見え給ひければ、後生のこと申し出だし、「極楽を願ふ心、深く侍り。往生はとげ侍りなむや」と尋ね給ひければ、「われは無智の者なり。いかで、さやうのことをことわり侍らん。ただし、智者の申し侍りしことを聞きて、これを案ずるに、などかは生ぜざらん。そのゆゑは、『人、六行観を修して、『上界の定(ぢやう)を得ん』と思ふとき、下地は、麁(そ)なり、苦なり、障なり。上地は、静なり、妙なり、離なりといふことを信じて、下地のいやしきさまを厭ひ、上地の妙なることを願へば、その観念の力にて、次第にすすみて、悲想悲々想まで至るべし』と言へり。されば、西方の行人もまた同じことなり。智恵・行徳なくとも、穢土を厭ひ浄土を願ふ心ざし深くは、などか往生を遂げざらん」とのたまひければ、僧都、これを聞きて、「まことに理きはまり侍り」とて、涙を流し、掌(たなごころ)を合はせて、帰(き)し給ひにけり。 さて、『往生要集』を撰じ給ひけるに、そのことを思ひて、厭離穢土・欣求浄土を先とし給ふ。 ===== 翻刻 ===== 発心集第七 鴨長明撰 恵心僧都謁空也上人事 恵心僧都ノソノカミ空也上人見奉ントテ尋来給 ヘル事アリ。年闌徳高シテ只人トモ覚ヘズ。イト尊ク 見ヘ給ケレバ。後生ノ事申出シ極楽ヲ願心深ク 侍。往生ハ遂侍ナムヤト尋給ヒケレバ。我ハ無智者 也。争サヤウノ事ヲコトハリ侍ン。但智者ノ申侍シ 事ヲ聞テ是ヲ案ズルニ。ナドカハ生セザラン。其故ハ 人六行観ヲ修シテ上界ノ定ヲ得ント思トキ下地 ハ麁ナリ苦ナリ障也。上地ハ静ナリ妙ナリ離ナ/n3l リト云事ヲ信シテ。下地ノイヤシキサマヲ厭ヒ。上地 ノ妙ナル事ヲネガヘバ其観念ノ力ニテ次第ニスス ミテ悲想悲々想マデ至ルベシト云リ。然レハ西方ノ 行人モ又同事也。智恵行徳ナクトモ穢土ヲイトヒ 浄土ヲネガフ心サシ深ハナドカ往生ヲ遂ザラント ノ給ヒケレバ。僧都是ヲ聞テ実ニ理キハマリ侍ト テ涙ヲナガシ掌ヲ合テ帰シ給ニケリ。サテ往生 要集ヲ撰ジ給ケルニ。其事ヲ思テ厭離穢土欣求浄 土ヲ先トシ給フ/n4r