発心集 ====== 第四第7話(44) 或る女房、臨終に魔の変ずるを見る事 ====== ===== 校訂本文 ===== ある宮腹の女房、世を背けるありけり。 病をうけて限りなりける時、善知識に、ある聖呼びたりければ、念仏勧むるほどに、この人、色真青(まさを)になりて、恐れたる気色なり。あやしみて、「いかなることの、目に見え給ふぞ」と問へば、「恐しげなる者どもの、火の車を率(ゐ)て来るなり」と言ふ。聖の言ふやう、「阿弥陀仏の本願を強く念じて、名号をおこたらず唱へ給へ。五逆の人だに、善知識に会ひて、念仏十度(とたび)申しつれば、極楽 に生まる。いはんや、さほどの罪は、よも作り給はじ」と言ふ。すなはち、この教へによりて、声をあげて唱ふ。 しばしありて、その気色なほりて、悦べる様なり。聖、またこれを問ふ。語つていはく、「火の車は失せぬ。玉の飾りしたるめでたき車に、天女の多く乗りて、楽(がく)をして、迎ひに来たれり」と言ふ。聖のいはく、「『それに乗らん』と思し召すべからず。なほなほ、ただ阿弥陀仏を念じ奉りて、『仏の迎ひにあづからん』と思せ」と教ふ。これによりて、なほ念仏す。 また、しばしありていはく、「玉の車は失せて、墨染(すみぞめ)の衣着たる僧の、貴(たつと)げなる、ただ一人来たりて、『今は、いざ給へ。行くべき末は道も知らぬ方なり。われ、そひてしるべせん』と言ふ」と語る。「ゆめゆめ、『その僧に具せん』と思すな。極楽へ参るには、しるべいらず。仏の悲願に乗りて、おのづから至る国なれば、念仏を申して、『一人参らん』と思せ」と勧む。 とばかりありて、「ありつる僧も見えず、人もなし」と言ふ。聖のいはく、「その隙(ひま)に、『とく参らん』と心をいたして、強く思して、念仏し給へ」と教ふ。 その後、念仏五六十返ばかり申して、声のうちに息絶えにけり。 これも、魔のさまざまに形を変へて、たばかりけるにこそ。 ===== 翻刻 ===== 或女房臨終見魔変事 或宮腹ノ女房世ヲ背ケルアリケリ。病ヲウケテ限ナ/n15r リケル時善知識ニアル聖ヨビタリケレバ。念仏ススムル程 ニ此人色マサヲニナリテ恐レタル気色ナリ。アヤシミテ イカナル事ノ目ニ見ヘ給ソト問ヘバ。ヲソロシケナル者共 ノ火ノ車ヲヰテ来ルナリト云フ。聖ノ云ヤウ阿弥陀 仏ノ本願ヲツヨク念ジテ名号ヲオコタラズ唱ヘ給ヘ五 逆ノ人タニ善知識ニアヒテ念仏十度申ツレバ極楽 ニ生ル。況ヤサ程ノ罪ハヨモ作リ給ハジト云即此ヲシヘニ ヨリテ声ヲアゲテ唱フ。シバシアリテ其気色ナヲリテ 悦ベル様ナリ。聖又是ヲ問フ。語テ云ク。火ノ車ハウセヌ。 玉ノカザリシタル目出キ車ニ天女ノ多ク乗テ楽ヲシテ/n15l 向ニ来レリト云フ。聖ノ云クソレニ乗ント思召ベカラズ猶 猶タダ阿弥陀仏ヲ念ジ奉リテ仏ノ迎ニ預ラントヲボ セトヲシフ。是ニヨリテ猶念仏ス。又シバシアリテ云ク玉 ノ車ハウセテ墨染ノ衣キタル僧ノ貴ゲナル只ヒトリ 来リテ今ハイザ給ヘ行ベキ末ハ道モシラヌ方ナリ。我 ソヒテシルベセント云ト語ル。努々ソノ僧ニ具セントヲボ スナ極楽ヘマイルニハシルベイラズ。仏ノ悲願ニノリテヲ ノヅカラ至ル国ナレバ念仏ヲ申テヒトリマイラントヲボ セトススム。トバカリアリテアリツル僧モ見ヘズ人モナシト 云フ。聖ノ云クソノ隙ニトクマイラント心ヲ至シテツヨ/n16r ク覚シテ念仏シ給ヘトヲシフ。其後念仏五六十返バカ リ申テ。声ノウチニイキ絶ニケリ。是モ魔ノサマザマニ形 ヲカヘテタバカリケルニコソ/n16l