発心集 ====== 第一第11話(11) 高野の辺の上人、偽りて妻女を儲くる事 ====== ===== 校訂本文 ===== 高野のほとり((底本「辺」に「ホトリ」と読み仮名。なお、標題は「ヘン」。))に、年ごろ行ふ聖ありけり。もとは、伊勢国の人なりけり。おのづから、かしこに居付けたりけるなり。行徳あるのみならず、人の帰依にて、いと貧しくもあらざりければ、弟子なんどもあまたありける。 年やうやうたけてのち、ことに相頼みたる弟子を呼びて、言ひけるやう、「『聞こえばや』と思ふことの、日ごとはんべるを、その心の内はばかりて、ためらひ侍りつるぞ。あなかしこ、あなかしこ、たがへ給ふな」と言ふ。「何事なりとも、のたまはんこと、いかでたがへ侍らむ。また、へだて給ふべからず。すみやかに承らむ」と言へば、「かく人を頼みたるさまにて過ぐす身は、さやうの振舞ひ思ひ寄るべきことならねども、年高くなり行くままに、傍らもさびしく、ことにふれてたつきなく思ゆれば、『さもあらむ人を語らひて、夜のとぎにせばや』となむ思ひたるなり。それにとりて、いたう年若からん人は悪しかりなん。ものの思ひやりあらん人を、忍びやかに尋ねて、わがとぎにせさせ給へ。さて、世の中のことをば、それにゆづり申さむ。ただ、わがありつるやうに、この坊の主(ぬし)にて、人の祈りなんどをも沙汰して、われをば奥の屋に据ゑて、二人(ににん)が食ひ物ばかりを、形のやうにして、送り給へ。さやうになりなむのちは、そこの心の内もはづかしかるべければ、対面(たいめん)なんどもえすまじ。いはんや、そのほかの人には、すべて、世にあるものとも知るべからず。死に失せたる物の様にて、わづかに命つぐべくばかり沙汰し給へ。これをたがへ給はざらむばかりぞ、年ごろの本意(ほんい)なるべし」と、かきくどきつつ言ふ。 あさましく、思はずに思えながら、「かやうに心置かず語らはする、本意に侍り。急ぎ尋ね侍らむ」と言ひて、近く遠く聞き歩(ある)きけるほどに、男におくれたりける人の、年四十ばかりなるありけるを聞き出でて、ねんごろに語らひて、便りよきやうに沙汰し据ゑつ。人も通さず、われも行くこともなくて、過ぎけり。 おぼつかなくも、また、物言ひあわせまほしくもあれど、さしも契りしことなれば、いぶせながら過ぐるほどに、六年経てのち、この女人、うち泣きて、「この暁、終り給ひぬ」とて、来たる。 驚きて、行きて見れば、持仏堂の内に、仏の御手に五色の糸掛けて、それを手にひかへて、脇息((底本「脇足」))(けふそく)にうち寄りかかりて、念仏しける手も、ちとも変らず、数珠(ずず)のひきかけられたるも、ただ生きたる人の眠(ねぶ)りたるやうにて、つゆも例にたがはず。壇には、行ひの具、うるはしく置き、鈴(れい)の中に紙を押し入れたりける。 いと悲しくて、ことの有様を細かに問へば、女の言ふやう、「年ごろ、かくて侍りつれども、例の妻夫(めをとこ)の様なることなし。夜は畳を並べて、われも人も、目覚めたる時は、生死の厭はしきやう、浄土願ふべきやうなんどをのみ、こまごまと教へつつ、よしなきことをば言はず、昼は阿弥陀の行法、三度こと欠くことなくて、ひまひまには念仏をみづからも申す。また、われにも勧め給ひて、始めつ方、二月三月(ふたつきみつき)までは心を置きて、『かく世の常ならぬありさまをば、わびしくは思ふ。さらば、心にまかすべし。もし、うときことになるとも、かやうに縁を結ぶも、さるべきことなり。このありさまを、ゆめゆめ人に語るな。もしまた、互ひに善知識とも思ひて、後世までの勤めをもしづかにせむとならば、乞ひ願ふところなり」と、のたまひしかば、『さらさら御心置き給ふべかず。年ごろあひ具したりし人をはかなく見なして、いかでか、その後世をもとぶらはざらん。われもまた、かかる憂き世にめぐり来(こ)じと願ひ、厭ふ心は侍りしかど、さても、一日たちめぐるべき様もなき身にて、本意ならぬ方にて見奉れば、なべての女のやうに思すにや。ゆめゆめ、しかにはあらず。『いみじき善知識』と、人知れず喜びてこそ、過ぎ侍へりし」と申ししかば、『返す返す嬉しきこと』とて、今隠れ給へることも、かねて知つて、終らむ時、『人にな告げそ』とありしかば、『かく』とも申さず」とぞ言ひける。 ===== 翻刻 ===== 高野辺上人偽儲妻女事 高野ノ辺ニ年来行聖有ケリ。本ハ伊勢国ノ人 也ケリ。自ラ彼ニ居付タリケル也。行徳アルノミナラズ。 人ノ帰依ニテイトマヅシクモ非ザリケレバ。第子ナムトモ アマタアリケル。年ヤウヤウタケテ後殊ニ相憑タル第子ヲ ヨビテ云ケル様聞ヘバヤト思事ノ日比ハンベルヲ其心 ノ内ハバカリテタメラヒ侍ヘリツルゾ。穴賢穴賢タガヘ給 ナト云。何事ナリトモノ給ハン事争テタカヘ侍ヘラム。/n26r 又ヘタテ給ベカラズ。速カニ承ハラムト云ヘバ。カク人ヲ憑 タル様ニテ過ス身ハ左様ノフルマヒ思ヨルベキ事ナ ラネトモ。年タカク成行ママニ傍モサビシク。事ニフレテ タツキナク覚レバ。サモアラム人ヲ語ヒテ夜ノトギニ セバヤトナム思タル也。其ニトリテイタフ年若カラン 人ハアシカリナン。物ノ思ヤリ有ラン人ヲ忍ヤカニ尋 テ我トギニセサセ給ヘ。サテ世ノ中ノ事ヲハ其ニユツリ 申サム。唯我アリツルヤウニ此坊ノ主ニテ人ノ祈ナム ドヲモ沙汰シテ。我ヲハ奥ノヤニスエテ二人カ食物ハカ リヲ形ノヤウニシテ贈給ヘ。左様ニナリナム後ハソコノ/n26l 心ノ内モハヅカシカルベケレバ。対面ナムトモエスマジ。況ヤ 其外ノ人ニハスベテ世ニアル物トモシルベカラズ。死ウセタル 物ノ様ニテワヅカニ命ツグベクバカリ沙汰シ給ヘ此ヲ タカヘ給ハザラム計ゾ年来ノ本意ナルベシト。カキク ドキツツ云。浅増ク思ハスニ覚ヘナガラ。加様ニ心ヲカス 語ラハスル本意ニ侍ヘリ。急ギ尋ネ侍ラムト云テ。近 ク遠ク聞アルキケル程ニ。男ニヲクレタリケル人ノ年 四十バカリナル有ケルヲ聞出テ。念比ニ語ヒテ便 ヨキ様ニサタシスヘツ。人モ通サス我モ行事モ無テ 過ケリ。覚束無モ又物言アワセマホシクモアレド/n27r サシモ契シ事ナレバ。イブセナカラスクル程ニ。六年ヘテ 後。此女人ウチナキテ此暁ハヤヲワリ給ヌトテ来ル 驚テ行テミレバ。持仏堂ノ内ニ仏ノ御手ニ五色ノ 糸カケテ。其ヲ手ニヒカヘテ脇足ニウチヨリカカリテ念仏シ ケル手モ。チトモカハラズ。ズズノヒキカケラレタルモ。唯生タル 人ノネフリタルヤウニテ露モ例ニタカハズ。壇ニハ行ヒノ具ウル ハシクヲキ鈴ノ中ニ紙ヲ押入タリケル。イト悲テ 事ノ有様ヲコマカニ問ヘハ女ノ云様。年来カクテ 侍ベリツレドモ。例ノメヲトコノ様ナル事ナシ。夜ハタタミヲ ナラヘテ我モ人モ目サメタル時ハ。生死ノイトハシキ/n27l 様浄土ネカウヘキ様ナムドヲノミコマゴマトヲシヘツツ。由 ナキ事ヲハ云ハス。ヒルハ阿弥陀ノ行法三度事カク 事ナクテ。ヒマヒマニハ念仏ヲ自モ申。又我ニモススメ給 テ。始ツ方フタ月三月マデハ心ヲヲキテ。カクヨノツネナ ラヌ有様ヲハ。ワビシクハ思フ。サラバ心ニマカスヘシ若 ウトキ事ニナルトモ。加様ニ縁ヲムスブモサルベキ事也 此アリサマヲ努々人ニ語ルナ。若又互ニ善知識トモ 思テ後世マテノ勤ヲモシヅカニセムトナラハコヒネカフ処 也トノタマヒシカバ。サラサラ御心ヲキ給ベカズ。年来相具 シタリシ人ヲ。ハカナクミナシテ。イカテカ其後世ヲモ訪ハザラン。/n28r 我モ又カカルウキ世ニメグリコシトネカイ厭心ハ侍ヘリシ カド。サテモ一日タチメグルベキ様モナキ身ニテ。本 意ナラヌ方ニテ見タテマツレバ。ナベテノ女ノ様ニ覚スニ ヤユメユメシカニハ非ズ。イミジキ善知識ト。人シレス喜ビテ コソスギ侍ヘリシト申シシカバ。返々ウレシキ事トテ。今 隠レ給ヘル事モ兼テ知テ終ラム時。人ニナツゲソト有 シカバ。カクトモ申サズトソ云ケル/n28l