[[index.html|古今著聞集]] 魚虫禽獣第三十 ====== 719 阿波国に智願上人とて国中に帰依する上人あり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 阿波国に、智願上人とて国中に帰依する上人あり。乳母(めのと)なりける尼死に侍りて後、上人のもとに、思はざるに駄を一疋まうけたりけり。これに乗りて歩(あり)くに、道の速きのみにあらず、悪しき道を行き川を渡る時も危ふきことなく、急ぐ要事ある時は、鞭(むち)の影を見ねども早く行き、のどかに思ふ時は静かなり。 ことにおきてありがたく思ふさまなるほどに、この馬、ほどなく死ににければ、上人惜しみ歎きけるほどに、また少しもたがはぬ馬出で来にければ、上人喜びて、さきのやうに秘蔵して乗り歩きけるに、ある尼に霊つきて、怪しかりければ、「誰人の何事におはしたるぞ」と問ひければ、われは上人の御乳母なりし尼なり。上人の御事をあまりにおろかならず思ひ奉りしゆゑに、馬となりて久しく上人を負ひ奉りて、つゆも御心にたがはさりき。ほどなく生を変へて侍りしかども、聖なほ忘れがたく思ひ奉りしゆゑに、また同じさまなる馬となりて、今もこれに侍るなり」と言ふ。 上人、これを聞くに、年ごろも怪しく思ひし馬のさまなれば、思ひ合はせらるることどもあはれに覚えて、堂を建て仏を作り供養して、かの菩提をとぶらはれけり。馬をばゆゆしくいたはりてぞ置きたりける。 執心の深きゆゑに、再び馬に生まれて心ざしをあらはしける、いとあはれなり。これ建長のころのことなれば、今のことなり。 ===== 翻刻 ===== 阿波国に智願上人とて国中に帰依する上人あり めのとなりける尼しに侍て後上人のもとにおもは さるに駄を一疋まうけたりけりこれにのりてあ りくに道のはやきのみにあらすあしきみちをゆき 河をわたる時もあやうきことなくいそく要事ある ときはむちのかけをみねともはやくゆきのとかに おもふ時はしつかなりことにをきてありかたくおもふ さまなるほとにこのむまほとなくしににけれは上人 おしみなけきけるほとに又すこしもたかはぬ馬いて きにけれは上人よろこひてさきのやうに秘蔵して のりありきけるにある尼に霊つきてあやし/s557l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/557 かりけれはたれ人のなにことにおはしたるそととひけ れは我は上人の御めのとなりし尼也上人の御事を あまりにをろかならすおもひたてまつりしゆへに 馬となりてひさしく上人をおいたてまつりてつゆ も御心にたかはさりきほとなく生をかへて侍し かともひしり猶わすれかたく思たてまつりしゆへに又 おなしさまなる馬となりていまもこれに侍なりと いふ上人これをきくにとしころもあやしくおもひし 馬のさまなれは思ひあはせらるる事ともあはれにお ほえて堂をたて仏をつくり供養してかの菩提 をとふらはれけり馬をはゆゆしくいたはりてそをきたり/s558r ける執心のふかきゆへにふたたひ馬にむまれて心 さしをあらはしけるいとあはれなりこれ建長の比の 事なれはいまの事也/s558l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/558