[[index.html|古今著聞集]] 魚虫禽獣第三十 ====== 692 東大寺の上人春豪房伊勢の海一志の浦にて海人蛤を捕りけるを見給ひて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 東大寺の上人春豪房、伊勢の海一志(いちし)の浦にて、海人(あま)蛤(はまぐり)を捕りけるを見給ひて、あはれみをなして、みな買ひ取りて、海に入れられにけり。「ゆゆしき功徳作りぬ」と思ひて、臥し給ひたる夜の夢に、蛤多く集まりて、うれへて言ふやう、「われ畜生の身を受けて、出離(しゆつり)の期を知らず。たまたま二宮の御前に参りて、すでに得脱(とくだつ)すべかりつるを、上人よしなきあはれみをなし給ひて、また重苦の身となりて、出離の縁を失ひ侍りぬる。悲しきかなや、悲しきかなや」と言ふと見て、夢覚めにけり。上人、渧泣(ていきふ)し給ふことかぎりなかりけり。 主計頭(かずへのかみ)師員((中原師員))も、市に売りける蛤を、月ごとに四十八買ひて海に放ちにけるほどに、ある夜の夢に、「畜生の報を受けたるが、たまたま生死を離れんとするを、かくし給へば、なほもとの身にて苦しみを離れぬ」よしを、海人どもが歎きて泣くと見て、それよりこのこととどめて((「とどめて」は底本「さゝめて」。諸本により訂正。))けるとなん。 放生の功徳もことによるべきにこそ。ただの人の放生するをすら歎き侍るなれば、まして大神宮((伊勢神宮))の御前に参りて、生死を離れんことは、まことに疑ひあらじ。 ===== 翻刻 ===== 東大寺上人春豪房伊勢海いちしの浦にて海人 はまくりをとりけるを見たまひてあはれみをなし てみな買とりて海に入られにけりゆゆしき功徳つく りぬと思てふしたまひたる夜の夢にはまくり おほくあつまりてうれへて云やうわれ畜生の身を うけて出離の期をしらす適二宮の御前にまいり てすてに得脱すへかりつるを上人よしなきあはれみ をなし給て又重苦の身となりて出離の縁をうし なひ侍りぬるかなしきかなやかなしきかなやといふとみて夢さ めにけり上人渧泣し給こと限なかりけり 主斗頭師員も市にうりけるはまくりを月ことに/s540l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/540 四十八買て海にはなちにける程に或夜の夢に畜 生の報をうけたるかたまたま生死をはなれんとする をかくし給へは猶もとの身にてくるしみをはなれぬよし をあまともかなけきてなくとみてそれより此事 さゝめてけるとなん放生の功徳もことによるへきに こそたたの人の放生するをすらなけき侍なれはまし て太神宮の御前にまいりて生死をはなれん事 は誠にうたかひあらし/s541r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/541