[[index.html|古今著聞集]] 飲食第二十八 ====== 635 順徳院の御時新蔵人源邦時分配をしける・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 順徳院((順徳天皇))の御時、新蔵人源邦時、分配をしける。極臈(ごくらふ)以下(いげ)、下侍(しもさぶらひ)にて次第のことども行ひけり。三献の後、一臈の判官藤原康光言ひけるは、「今夜、新蔵人ふるまはれて候ふ。康光すでに沈酔に及べり。この上にあやにくして、願ひ物に及ぶべし」と言ふ。邦時、「みな存知つかうまつりて((「つかうまつりて」は底本「つかしまつりて」。諸本により訂正。))候ふ。仰せをあひ待つなり」と言ふ。康光いはく、「藤兵衛尉孝時((藤原孝時))を尋ね出だされて、琵琶をかき鳴らさせて、朗詠を勧められ候へかし。さやうに候はば、なほ数盃もかたぶけ侍りぬべし」と言ひけり。 孝時、その日子細ありて、祗候しながら、その座にはつらならざりけり。主上の御供して、時の簡(ふだ)のもとの格子に、穴を開けて御覧ぜられける所に祗候したりけり。主上、この言葉を聞こし召して、「孝時、これは聞くか。その用意もせぬ、いかにして出づべき」と仰せごとありけるに、新蔵人は御所の方へ参りて、孝時を尋ぬるに、会はず。力及ばで帰りつきて、そのよしを言ふに、康光いはく、「昔は雪中の筍(たかんな)、師走の楊梅(やまもも)も願ふにしたがひて求め出だしけり。これ志の深きによりてなり。藤兵衛尉、まさしく今朝まで常の御所に候ひつるなり。すみやかに内侍などにうかがひ申され候へ」と言ふ。主上、また孝時に、「この上はただ出でよ。わざとなかなかとりつくろふべからず。それは悪しかりぬべし」とて、御みづから孝時が鬢(びん)を下(しも)へなで下させおはしまして、冠の角(つの)を折らせ給ひけり。「『ただいま上臥(うへぶし)して候ひつる、この体にてはいかが参り候ふべき』と言ひて、しばらくすまへ」と教へさせ給ひければ、このままに新蔵人にあひしらふを、しひて言ひければ、すまひすまひ出でにけり。 極臈勧めて、非職の一高兵衛尉知経が上にすゑけるを、知経憤りて、「座次(ざなみ)を乱され候ふこと、面目なく候へば、暇(いとま)を申してまかり立たん」と言ふを、三臈にて大膳亮範綱がありけるが、知経が言ふことを聞きて、「あれは同じ非職(ひしき)なれば、いたみ申され候ふにこそ。範綱、座を下(くだ)りてすゑ申すべし」とて、居下(くだ)りたりけり。範綱、いみじく見え侍りける。さて、三臈の上(かみ)につきて侍りける。当座の面目、ゆゆしかりけり。 この後、極臈、「常の御所に候ふ御琵琶を盗み出だされ候へかし」と言ふ。新蔵人、すなはち座を立ちて参る時、「そのついでに、御笛を同じくうかがはれ候へ」と言ひけり。すなはち両物を持て来たりければ、藤兵衛尉、琵琶を調ぶ。一臈、笛を音取(ねと)る。その後朗詠あり。孝時、「新豊の酒色」の句を詠ず。極臈ならびに非職知経、助音す。おのおの興にのりて数献に及びて、こと果てにけり。 分配、近年絶えて侍ることを、邦時おこし行ひたりける、いみじかりけり。この後はまた絶えて、今に聞こえず。 ===== 翻刻 ===== 順徳院御時新蔵人源邦時分配をしける極臈/s496r 以下々侍にて次第の事ともおこなひけり三献ののち 一臈判官藤原康光いひけるは今夜新蔵人ふるまは れて候康光すてに沈酔にをよへりこのうへにあや にくしてねかひ物に及へしといふ邦時みな存知つかし まつりて候仰を相待也といふ康光いはく藤兵衛 尉孝時をたつねいたされて琵琶をかきならさせて 朗詠をすすめられ候へかしさやうに候はは猶数盃もかた ふけ侍ぬへしといひけり孝時其日子細ありて祗候 しなから其座にはつらならさりけり主上の御共して 時の簡のもとの格子に穴をあけて御覧せられける 所に祗候したりけり主上この詞をきこし/s496l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/496 めして孝時これはきくか其用意もせぬいかにして 出へきと仰事ありけるに新蔵人は御所のかた へまいりて孝時を尋るにあはすちからをよはて帰 りつきて其由をいふに康光云むかしは雪中た かんなしはすのやまもももねかふにしたかひてもと め出しけりこれ志のふかきによりてなり藤兵衛 尉まさしく今朝まてつねの御所に候つる也すみや かに内侍なとにうかかひ申され候へといふ主上又孝 時にこのうへはたたいてよわさと中々とりつくろふ へからすそれはあしかりぬへしとて御みつから孝時か ひんをしもへなてくたさせおはしまして冠のつの/s497r をおらせ給けりたたいまうへふしして候つる此体にて はいかかまいり候へきといひてしはらくすまへとをし へさせ給けれはこのままに新蔵人にあひしらふを しひていひけれはすまひすまひいてにけり極臈すす めて非職一高兵衛尉知経かうへにすへけるを知経 いきとをりて座次をみたされ候こと面目なく候へは いとまを申てまかりたたんといふを三臈にて大膳 亮範綱かありけるか知経かいふことをききてあれ はおなし非職なれはいたみ申され候にこそ範綱 座をくたりてすへ申へしとて居くたりたりけり 範綱いみしくみえ侍けるさて三臈のかみにつきて/s497l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/497 侍ける当座の面目ゆゆしかりけりこののち極臈 常の御所に候御琵琶をぬすみいたされ候へかし といふ新蔵人すなはち座を立てまいる時その つゐてに御笛をおなしくうかかはれ候へといひけり 則両物をもてきたりけれは藤兵衛尉比也をしらふ 一臈笛をねとる其後朗詠あり孝時新豊酒色 の句を詠す極臈并に非職知経助音す各興に のりて数献にをよひてことはてにけり分配近年 たえて侍ことを邦時おこしおこなひたりけるいみし かりけりこの後は又たえて今にきこえす/s498r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/498