[[index.html|古今著聞集]] 変化第二十七 ====== 611 これも仁治のころ伊勢国書生荘より百姓なりける法師上りて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== これも仁治のころ伊勢国書生荘より、百姓なりける法師上りて、五条坊門富小路に宿りてゐたりけり。役果てて下りけるに、同じ荘にあひ知りたる山寺法師に行き会ひぬ。「いづくへ行くぞ」と問ひければ、荘へ下るよしを語れば、「われも下るなり。さらば同道せん」と言ひければ、具して下ると思ふほどに、その道にもあらで、思ひがけぬ法勝寺・法成寺などに来にけり。心も心ならず、鬼に神(かみ)取られたるさまなり。 さるほどに、また七条高倉に来ぬ。この山寺法師言ふやう、「あちこちと歩(あり)きて、喉のかわきたるに、そのさし給へる刀にて、酒買へかし。われも飲み、そこにも喉うるへ給へ」と言へば、またわれにもあらず買ひつ。 さて、二人飲みて具して行くほどに、今比叡(いまひえ)((新日吉神社))の辺に来ぬ。さるほどに、見も知らぬ山伏三人会ひたり。この山伏を見て、この法師、恐れをののきたる気色にて、しじかまりて進まず。三人の山伏の中に主領とおぼしきが言ふやう、「わ法師ぞ、せんなきことするな」と言ひて、にらみて立てり。この法師、いよいよ恐れ入りたり。「いかなるやうにか」と見るほどに、かく言ひたるばかりにて、三人ながら過ぎぬ。その時、「この人々は誰(た)そ。また、かくもの言ひつる人の名をは何と言ふぞ」と問へば、「あれをば、たてる房と申すなり」と答へてまた具して清水((清水寺))に至りぬ。 鐘楼の上に率て行きて、いかにかしたりけむ、檜皮(ひはだ)と裏板とのあはひに、葛(かづら)をもちて、ならならと縛りからめて吊り付けて、天狗は失せにけり。 刀をさしたりつるほどは、かく思ふさまにはえせざりつるに、刀を売らせて後、かくしたるなめり。鐘突きに人の上りたりけるに、もののうめきければ、寺僧どもに告げて、裏板をこぢはなちて、とかく命生けて問ひければ、かく語りけるとなん。 ===== 翻刻 ===== これも仁治の比伊勢国書生庄より百姓なりける 法師のほりて五条坊門冨小路にやとりて居たり けり役はててくたりけるに同庄にあひしりたる 山寺法しに行あひぬいつくへゆくそと問けれは 庄へくたるよしをかたれは我もくたるなりさらは同道 せんといひけれはくしてくたるとおもふ程にその道 にもあらて思かけぬ法勝寺法成寺なとにきにけり 心も心ならす鬼にかみとられたるさまなりさる程に 又七条高倉にきぬこの山寺法しいふやうあち こちとありきて喉のかわきたるにそのさした/s486r まへる刀にて酒買かしわれものみそこにも唯(喉)うる へ給へといへは又われにもあらすかひつさて二人の みてくして行程に今比叡の辺にきぬさるほとに みもしらぬ山臥三人あひたり此山ふしをみてこの 法師恐をののきたるけしきにてししかまりてすす ます三人の山伏の中に主領とおほしきかいふやうわ 法しそせんなき事するなといひてにらみてたてり 此ほうし弥おそれ入たりいかなるやうにかと見る程にかく いひたるはかりにて三人なからすきぬ其時この 人々はたそ又かく物いひつる人の名をはなにといふ そととへはあれをはたてる房と申也とこたへて/s486l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/486 又くして清水にいたりぬ鐘楼のうへにいて行ていかに かしたりけむ檜皮と裏板とのあはひにかつらを もちてならならとしはりからめてつりつけて天狗 はうせにけり刀をさしたりつる程はかく思ふさまに はえせさりつるに刀をうらせて後かくしたるなめり 鐘突に人ののほりたりけるにもののうめきけれは 寺僧ともにつけてうらいたをこちはなちてとかく命 いけて問けれはかくかたりけるとなん/s487r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/487