[[index.html|古今著聞集]] 変化第二十七 ====== 607 斎藤左衛門尉助康丹後国へ下向したりけるに狩りをして日暮れたりけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 斎藤左衛門尉助康、丹後国へ下向したりけるに、狩りをして日暮れたりけるに、古き堂のありけるにうち入りて、夜を明かさんとしけるを、その辺の子細知りたる者、「この堂には人取りするものの侍るに、さうなく御とどまりはいかが」と言ひけるを、「何事のあらんぞ」とて、なほとどまりぬ。 雪降り風吹きて、聞きつるにあはせて、世の中けむつかしく覚えて、正面の間に柱に寄りかかりてゐたりけるに、庭の方より、ものの競(きほ)ひ来たるやうにしければ、明障子の破(やぶ)れよりきと見れば、庭には雪降りて白(しら)みわたりたるに、堂の軒と等しき((「等しき」は底本「ひさしき」。諸本により訂正。))法師の黒々として見えけり。さりながら、さだかには見えず。 さるほどに、明障子(あかりしやうじ)の破(や)れより、毛むくむくと生ひたる細腕(ほそかひな)をさし入れて、助康が顔をなでくだしけり。その折、きと居直れば、引き入れ((「引き入れ」は底本「いま入」。諸本により訂正。))けり。その後、明障子の方に向かひて、かたまりに寝て待つほどに、また前(さき)のごとく手を入れてなでける手を、むずと取りてけり。取られて引き返しけれども、もとよりすくやかなる者なれば、強く取りて放たず。しばし取りからかひけるほどに、明障子引き放ちて、広庇(ひろびさし)へ出でぬ。障子を中に隔てて、上((「上」は底本「かへ」。諸本により訂正。))に乗りゐにけり。軒と等しう見えつれど、障子の下になりては、むげに小さし。手もまた細くなりにければ、いとどかつに乗りて、へし伏せてをるに、細声を出だして、「きき」と鳴きけり。 その時、下人を呼びて、火を打たせて灯して見れば、古狸なりけり。「あした村人に見せむ」とて、下人にあづけたりけるを、下人ども、いふかひなく焼き食らひてけり。 次の日、起きて尋ねければ、頭(かしら)ばかりを残したりけり。正体なくて、その頭をぞ村人に見せける。その後は、長くこの堂に人取りすることなかりけり。 ===== 翻刻 ===== 斎藤左衛門尉助康丹後国へ下向したりけるにかり をして日くれたりけるにふるき堂のありけるに うち入て夜をあかさんとしけるを其辺の子細/s482l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/482 しりたる物この堂には人とりするものの侍るにさ うなく御ととまりはいかかといひけるを何事の あらんそとて猶ととまりぬ雪ふり風ふきてきき つるにあはせて世中けむつかしくおほえて正面の 間に柱によりかかりて居たりけるに庭のかたより もののきをひきたるやうにしけれは明障子のやふ れよりきと見れは庭には雪ふりてしらみわたり たるに堂の軒とひさしき法しのくろくろとして みえけりさりなからさたかにはみえすさる程に明障 子のやれより毛むくむくとおひたるほそかひなをさし 入て助康かかほをなてくたしけりそのおりきと/s483r 居なをれはひま入けり其後明障子のかたにむか ひてかたまりにねてまつ程に又さきのことく 手をいれてなてける手をむすと取てけりとら れてひきかへしけれとももとよりすくやかなる 物なれはつよくとりてはなたすしはしとりから かひける程に明障子ひきはなちて広庇へい てぬ障子を中に隔てかへにのりゐにけり軒とひ としうみえつれと障子のしたに成てはむけに ちいさし手も又ほそくなりにけれはいととかつにの りてへしふせてをるに細こゑをいたしてききと なきけりその時下人をよひて火をうたせてとも/s483l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/483 して見れは古狸なりけりあした村人に見せむとて 下人にあつけたりけるを下人ともいふかひなく 焼くらひてけり次日をきてたつねけれはかしら はかりをのこしたりけり正体なくて其頭をそ 村人にみせけるそののちはなかくこの堂に人とり する事なかりけり/s484r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/484