[[index.html|古今著聞集]] 変化第二十七 ====== 601 主殿頭光遠朝臣法住寺を造りける時子息近江守仲兼毎日奉行して参じけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 主殿頭光遠朝臣((源光遠))、法住寺((法住寺殿))を造りける時、子息近江守仲兼((源仲兼))、毎日奉行して参じけり。 ある日、退出しけるほどに、日暮れて後、東寺の辺を通りけるに、あひ具したる下人ども、みな車の前(さき)に走りたりける間に、車の後ろには人もなかりけり。世の中暗くて、わづかに星((「星」は底本「皇」。諸本により訂正。))の光ほのかなるに、見れば、白き直垂着たる法師一人、車の後ろに歩み来けり。怪しう思ひて、後ろの簾(すだれ)をかかげて見れば、父朝臣がもとに召し使ふ中間(ちゆうげん)次郎法師なりけり。そのころ件(くだん)の法師を勘当して、追ひ出だしたることなりけり。「ただ今ここに来たるは、われを犯さんと思ふにこそ」と思ふより、奇怪(きくわい)に覚えて、下人どもにかくとも言はず、車刀のあるを取りて、後ろよりおどり下りて、この法師に言ふやう、「なんぢは次郎法師めか。何のゆゑにただ今ここには来たる。それ奇怪の奴かな」とて、走りかかりたるを、この法師、次郎法師と思ふほどに、その長(たけ)次第に大きになりて、かき消つやうに失せにけりと思ふほどに、空より仲兼の烏帽子をうち落して、髻(もとどり)を取りて、引き上げけり。その折、車刀にて上げざまに刺したりければ、手ごたへしけり。「よく刺しつ」と思ふほどに、髻をはづして土へ落してけり。白襖(しらあを)の狩衣を着たりけるに、血多く流れ付きたり。右手なんどにも付きたりけり。 さて、下人は主のかかるとも知らず、「車に乗りたるぞ」と思ひて、父朝臣が亭切り堤(つつみ)へやりて、行きて下ろさんとするに、主人なし。驚き騒ぎて、すなはち人勢おこして、火多く灯して求むるに、東寺の南作り道の田中にて求め出だしてけり。太刀を手に持ちながら死てありけり。すなはちかき持て行きて、数日護身などして、もとのごとくなりにけり。 その太刀をば、法皇((後白河法皇))召して、蓮華王院の宝蔵に収められにけり。 ===== 翻刻 ===== 主殿頭光遠朝臣法住寺をつくりける時子息近江守 仲兼毎日奉行して参しけり或日退出しけるほとに 日くれてのち東寺辺をとをりけるに相具したる下人 ともみな車のさきにはしりたりけるあひたに車の/s472l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/472 うしろには人もなかりけりよの中くらくてわつかに 皇の光ほのかなるに見れはしろきひたたれきたる 法師一人車のうしろにあゆみきけりあやしうおもひ て後のすたれをかかけてみれは父朝臣かもとにめし つかふ中間次郎法師なりけり其比件法しを勘当 して追出したる比なりけりたたいまここにきたるは われを犯さんと思ふにこそとおもふよりきくわひにおほ えて下人ともにかくともいはす車刀のあるをとりて 後よりおとりおりて此法師にいふやう汝は次郎法師 めかなにのゆへに只今ここにはきたるそれきくわひのやつ かなとてはしりかかりたるをこの法し次郎法師と/s473r 思ふほとに其長次第に大になりてかきけつやうに うせにけりと思ふ程に空より仲兼烏帽子をうち おとして本鳥をとりてひきあけけりそのおり車 刀にてあけさまにさしたりけれは手こたへしけりよく さしつと思ふ程にもととりをはつして土へおとして けりしらあをの狩衣をきたりけるに血おほくなかれ つきたり右手なんとにもつきたりけりさて下人は 主のかかるともしらす車に乗たるそとおもひて父朝臣 か亭きりつつみへやりて行ておろさんとするに主人 なしおとろきさはきて則人勢をこして火おほく ともしてもとむるに東寺の南つくり道の田中にて/s473l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/473 求出してけり太刀を手にもちなから死てありけり則 かきもて行て数日護身なとしてもとのことく成にけり 其太刀をは法皇めして蓮花王院の宝蔵に収られにけり/s474r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/474