[[index.html|古今著聞集]] 興言利口第二十五 ====== 553 あるひらあしだ名僧ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== あるひらあしだ名僧((「平足駄名僧」か。))ありけり。地を一部、主(ぬし)持ちたりけり。それに人をすゑて地子を取り侍けるが、打口一丈あまりに、ある古尼公をすゑたり。 この僧、ある所の仏供養の導師に請ぜられて出づとて、かの尼公を呼びて言ひけるやうは、「説経の貴くなりぬる((「貴くなりぬる」は底本「たうなりぬる」。諸本により訂正。))は、聴聞の者みな泣くなり。しもおほせぬことは((「ことは」は底本「とは」。諸本により訂正。))泣くことなし。今日の説法に、もし泣く人なからんは、当座の恥なるべし。わ尼公、聴聞のみぎりに進みて必ず泣くべし。かつは地殿の公事(くじ)と思ふべし」と言ひふくめて出でぬ。 この地殿の仰せ、のがれがたくて、聴聞の志はなけれども、かの仏事の所へ行きぬ。ことよくなりて、導師、高座に上(のぼ)りて、鐘打ち鳴らすより、この此尼鳴たちたり。ただ今説経したることもなきに、あまりにとく泣きたりければ、導師、「悪しく泣くものかな」と思ひて、見返りて、じらりとにらみければ、尼、「少なく泣くと思ひてにらむ」と心得て、いよいよ泣きまさりけり。導師、「こはいかに」と思ひて、ますますにらみければ、尼公、細声(ほそこゑ)を出だして、「さも候はずとよ。わづかなる地一丈あまりが候ふ公事には、これに過ぎてはいかにと泣き候はんぞと言ひたりける。人々、「はあ」と笑ひけり。 ===== 翻刻 ===== 或ひらあした名僧ありけり地を一部主もちたり けりそれに人をすへて地子をとり侍けるか打 口一丈あまりにあるふる尼公をすへたり此僧或所 の仏供養の導師に請せられていつとて彼尼公 をよひていひけるやうは説経のたうなりぬるは 聴聞の物みな鳴なりしもおほせぬとは鳴ことなし けふの説法にもし鳴人なからんは当座のはちなる へしわ尼公聴聞の砌にすすみて必鳴へしかつは/s440l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/440 地殿の公事とおもふへしといひふくめていてぬ 此地殿の仰のかれかたくて聴聞の志はなけれとも 彼仏事の所へゆきぬことよくなりて導師高 座にのほりてかね打ならすより此尼鳴たちたり 只今説経したる事もなきにあまりにとく鳴たり けれは導師あしく鳴物かなと思て見かへりてしら りとにらみけれは尼すくなく鳴とおもひてにらむ と心えていよいよ鳴まさりけり導師こはいかに とおもひてますますにらみけれは尼公ほそこゑを いたしてさも候はすとよわつかなる地一丈あまりか候 公事にはこれに過てはいかにと鳴候はんそといひ/s441r たりける人々はあとわらひけり/s441l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/441