[[index.html|古今著聞集]] 興言利口第二十五 ====== 541 この女院の女房どもの中にいとをかしきこと多く侍りけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== この女院((七条院。高倉天皇皇妃藤原殖子。[[s_chomonju540|540]]参照。))の女房どもの中に、いとをかしきこと多く侍りけり。 医師時成((和気時成))が女(むすめ)、備後とて候ひけり。仏師雲慶((運慶))が女、越前とて候ひけるが、ある日、越前、額に瘡(かさ)の出でたりけるを、備後に向ひて、「や、おつぼね。この瘡見てたび候へ。さすが御身ぞ、見知らせ給はん」と言ひたりけるを、備後とりもあへず見るままに、「眉間((白毫を指す。))を入れ給へるをば、何とかはし侍るべき」と答へたりける、心の早さをかしかりけり。互ひにかくざれあふことをのみしける。 蓮尊房は尾張とて候ひけり。正月の朔日(ついたち)に、時成が女に向ひて、「『会ひがたきは友なり。失ひやすきは時なり』と申ことの候ふな」と問ひたりければ、備後、「孟春早く来て、楽しむべきは時成とぞ知りて候ふ」と答へけり。これもいみじく言ひて侍るにこそ。 尾張が咳病(がいびやう)をしてわづらひけるを、備後とぶらひとて、「何を病み給ふぞ」と言ひたりける返事に、「餓鬼病を病み候ふぞ」と答へたりければ、備後、「さらば、貧相子(ひんさうじ)((「檳榔子」をもじった。))を煎じて召せ」と言ひたりけり。 すべてかやうの言葉たたかひ、常のことなり。 ===== 翻刻 ===== 此女院の女房ともの中にいとをかしき事おほく侍けり 医師時成か女備後とて候けり仏師雲慶か女越前 とて候けるか或日越前ひたひにかさの出たりけるを備 後に向てやおつほね此かさ見てたひ候へさすか御身 そ見しらせ給はんといひたりけるを備後とりもあへ す見るままにみけむをいれたまへるをはなにとかは し侍へきとこたへたりける心のはやさをかしかりけり たかひにかくされあふ事をのみしける蓮尊房は 尾張とて候けり正月の朔日に時成かむすめに向て あひかたきは友なりうしなひやすきは時なりと申/s427l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/427 ことの候なととひたりけれは備後孟春早来てた のしむへきは時成とそしりて候とこたへけりこれも いみしくいひて侍にこそ尾張か咳病をしてわつらひ けるを備後とふらひとてなにをやみ給そといひ たりける返事に餓鬼病をやみ候そとこたへ たりけれは備後さらはひんさうしを煎してめせと いひたりけりすへてかやうのこと葉たたかひつね の事也/s428r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/428