[[index.html|古今著聞集]] 興言利口第二十五 ====== 531 同じ御時南都の僧六人に風流棚を召されたりけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 同じ御時((後鳥羽天皇。[[s_chomonju530|530]]参照。))、南都の僧六人に、風流棚を召されたりけるに、面々に仕立てて参らす((「参らす」は底本「まいらせ」。諸本により訂正。))とて、棚ごとに歌を詠みて付けたりけり。 叡覧ありて、「この返し、誰かするべき。泰覚((高階泰覚。底本「秦覚」。諸本により訂正。))よろしかりなむ」とて召されにけり。すなわち参りたるに、「この歌の返しつかうまつるべし、ただし六首を一首にて返すべし」と仰せ下されければ、当座につかうまつりける、   奈良坂のさかしき道をいかにして腰折れどもの越えて来つらん 院、しきりに御入興ありけるとなむ。 ===== 翻刻 ===== 同御時南都僧六人に風流棚をめされたりけるに/s421l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/421 面々にしたててまいらせとて棚ことに哥をよみて付 たりけり叡覧ありてこのかへしたれかするへき秦覚 よろしかりなむとてめされにけり則まいりたるにこの 哥の返しつかうまつるへし但六首を一首にてかへす へしと仰下されけれは当座につかうまつりける  ならさかのさかしきみちをいかにしてこしをれとものこえてきつらん 院しきりに御入興ありけるとなむ/s422r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/422