[[index.html|古今著聞集]] 興言利口第二十五 ====== 513 法性寺殿天王寺へ参らせ給ひけるに武正御供したりけるが・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 法性寺殿((藤原忠通))、天王寺へ参らせ給ひけるに、武正((下野武正))御供したりけるが、山崎にて馬より落ちにけり。 その後、また山崎を過ぎさせ給ふとて、先日の落馬のことを思し出でて、「ここか、武正が所は」など仰せられければ、武正、「さん候ふ」と申して、それよりやがて領知してけり。「殿下(てんが)の『武正が所』など仰せられん上は、何の子細あるまじ」とぞ言ひける。もとの主、力及ばず。不祥きはまりなし。その所、今に武正が子孫相伝したりとぞ。 この武正は容儀なども良かりければ、ゆゆしき名誉の者にてぞ侍りける。競馬(くらべうま)をたびたびつかうまつりけれども、一度も勝たざりけり。負けながら方屋(かたや)へ帰り寄りて、酒肴など行ひければ、親しき友、「いかにかくはあるぞ」と言ひければ、「競馬に負け((「負け」は底本「まを」。諸本により訂正。))たる者は死に失するかれ」と言ひて、あへて用ゐざりけり。武正ならざらむ者、かやうのことしてんや。 ===== 翻刻 ===== 法性寺殿天王寺へまいらせ給けるに武正御共し たりけるかやまさきにて馬よりおちにけり其後又 山崎をすきさせ給とて先日の落馬のことをおほし いててここか武正か所はなと仰られけれは武正さん 候と申てそれよりやかて領知してけり殿下の武正 か所なと仰られんうへはなむの子細あるましとそ いひける本主ちからをよはす不祥きはまりなし其 所今に武正か子孫相伝したりとそ此武正は容儀 なともよかりけれはゆゆしき名誉のものにてそ/s409l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/409 侍ける競馬をたひたひつかうまつりけれとも一度も かたさりけり負なからかた屋へかへりよりて酒肴 なとおこなひけれはしたしきともいかにかくはある そといひけれは競馬にまをたる物はしに うするかれといひてあへてもちゐさりけり武正 ならさらむ物かやうの事してんや/s410r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/410