[[index.html|古今著聞集]] 宿執第二十三 ====== 494 西行法師出家より前は徳大寺左大臣の家人にて侍りけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 西行法師、出家より前(さき)は徳大寺左大臣((藤原実能))の家人にて侍りけり。多年修行の後、都(みやこ)((「都」は底本「宮う」。諸本により訂正。))へ帰りて、年ごろの主君にておはしますむつまじさに、後徳大寺左大臣((藤原実定))の御もとにたどり参りて、まづ門外より内を見入れければ、寝殿の棟に縄を張りけり。怪しう思ひて人に尋ねければ、「あれは、『鳶(とび)すゑじ』とて張られたる」と答へけるを聞きて、「鳶のゐる、何かは苦しき」とて、うとみて帰りぬ。 次に、「実家((藤原実家))の大納言はいづくにぞ」と尋ね聞き((「聞き」は底本「きし」。諸本により訂正。))けるに、北の方の思ふやうにもおはせざりければ、「あながちに利を求めたる御振舞ひ、うたてし」とて、尋ね行かず。 実守((藤原実守))の中納言ははや失せ給ひにけり。公衡((藤原公衡))の中将のあり所を尋ね来て、菩提院((仁和寺菩提院))へ行きぬ。うかがひ見れば、縹(はなだ)の白裏の狩衣に、織物の指貫(さしぬき)ふみくくみて、庭の桜をながめて、高欄(かうらん)に寄りゐたる気色、いと優(いう)にて、「徳大寺の御あとは、この人におはしけり」と思ひて、さうなく桜のもとに立ち寄りたりければ、中将、「いかなる人にか」と尋ねられけるに、「西行と申す者の参りて候ふ」と申しければ、年ごろ見参したかりけるに」と、ことに悦び給ひて、縁の上に呼びのぼせて、昔今(むかしいま)のこと語られけり。日やうやう暮れにければ、西行も帰りぬ。その後、常に参りて物語したり。 かかるほどに、任大臣あるべしと聞こえけり。蔵人頭にかの中将なるべき仁に当たり給ひたりけるに((「たりけるに」は底本「たるけるに」。諸本により訂正。))、院((後白河上皇))は、「中将成経朝臣((藤原成経))をなさむ」と思し召しけり。殿下((九条兼実))はまた、大蔵卿宗頼朝臣((藤原宗頼))を推挙ありければ、両闕ともに、かなふまじげに聞こえけるを、西行聞きて、急ぎ中将のもとに詣でて、そのよしを語りて、「人にこえられ給ひなば、さだめて世遁れ給はんずらむ」など申しけるを、中将聞きて、まことにさこそあるべけれども、母の尼堂を建つべき願ありて、その間のことを申し付けたる。出家の身にて口入(くにふ)せむこと、勧め法師に似たらんずれば、その願遂げて後、あひはからふべし」と答へられければ、西行、心おとりして帰りぬ。 さて、任大臣のついでに、聞こえしがごとく、宗頼・成経朝臣等、蔵人頭に補せられにけり。その朝、西行、弟子を中将のもとへやりて、「もしや」とて事柄(ことがら)を見せけるに、あへて日ごろに変はることなかりければ、また文を持ちて、「申し候ひしことはいかに」と尋ねたりけるに、「見参の時、詳しうは申すべき((「申すべき」は底本「申しき」。諸本により訂正。))」と返事せられたりければ、「無下の人にておはしけり」とて、その後は向はずなりにけり。 世を遁れ、身を捨てたれども、心はなほ昔に変らず、たてだてしかりけるなり。 ===== 翻刻 ===== 西行法師出家よりさきは徳大寺左大臣の家人にて 侍りけり多年修行の後宮うへ帰りて年比の主君 にておはしますむつましさに後徳大寺左大臣の御もと にたとりまいりて先門外よりうちを見いれけれは寝殿 の棟になはをはりけりあやしう思て人にたつねけれは あれはとひすへしとてはられたるとこたへけるを聞 てとひのゐるなにかはくるしきとてうとみて帰り ぬ次に実家の大納言はいつくにそと尋きしけ るに北のかたのおもふやうにもをはせさりけれはあなかち に利をもとめたる御ふるまひうたてしとて尋ゆかす/s394r 実守の中納言ははやうせ給にけり公衡の中将のあ り所をたつねききて菩提院へゆきぬうかかひみ れは花たのしろうらのかり衣にをり物のさしぬき ふみくくみて庭の桜をなかめてかうらむにより ゐたるけしきいというにて徳大寺の御あとは 此人におはしけりとおもひて左右なく桜のもと にたちよりたりけれは中将いかなる人にかと尋 られけるに西行と申物のまいりて候と申けれは年 比見参したかりけるにとことに悦給て縁の上に よひのほせてむかしいまのことかたられけり日や うやう暮にけれは西行も帰りぬ其後つねに参て/394l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/394 物語したりかかる程に任大臣あるへしときこえけり 蔵人頭に彼中将なるへき仁にあたり給たるける に院は中将成経朝臣をなさむとおほしめしけり殿下 は又大蔵卿宗頼朝臣を推挙ありけれは両闕ともに かなふましけにきこえけるを西行ききていそき中 将のもとにまうててそのよしをかたりて人にこえら れたまひなはさためて世のかれ給はんすらむなと 申けるを中将ききてまことにさこそあるへけれとも 母尼堂をたつへき願ありてそのあひたの事を 申つけたる出家の身にて口入せむことすすめ法師に 似たらんすれはその願とけて後相斗へしとこ/s395r たへられけれは西行心をとりして帰りぬさて任大 臣のつゐてにきこえしかことく宗頼成経朝臣等 蔵人頭に補せられにけりその朝西行弟子を中 将のもとへやりてもしやとて事からを見せける にあへて日来にかはることなかりけれは又文をも ちて申候し事はいかにと尋たりけるに見参の 時くはしうは申きと返事せられたりけれは無下の 人にておはしけりとて其後はむかはすなりにけり 世をのかれ身をすてたれとも心はなをむかしにか はらすたてたてしかりけるなり/s395l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/395