[[index.html|古今著聞集]] 宿執第二十三 ====== 492 大監物藤原守光は侍学生の中には名誉の者にてなむ侍りける・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 大監物藤原守光は侍学生の中には名誉の者にてなむ侍りける。嘉応年中に、聟(むこ)薩摩守重綱にあひ具して、かの国へ((「国へ」は底本「国人」。諸本により訂正。))下りたりけり。 承安三年、重病を受けて日ごろ悩みけるが、少し良くなりたりけれども、なほ例のさまにはなかりけり。さりながら、「八月以前に上洛(しやうらく)して、釈奠(せきてん)に参らむ」と思ひ立ちけり。親しき者ども制しけれども、なほしひて上りぬ。 八月七日、疲極しながら、小袖の上に下襲(したがさね)・上の衣ばかりを着て、廟門に参りたりけるに、宴の座止まりければ、まかり出でにけり。 さしもはるかなる道を、しかも病につかれたる身にて、からくして上りたるに、むなしくて出でにける、いかに本意(ほい)なかりけむ。心ざしのいたり、これも宿執に引かれてあはれなり。 ===== 翻刻 ===== 大監物藤原守光は侍学生の中には名誉の物 にてなむ侍ける嘉応年中にむこ薩摩守重綱に あひくして彼国人下たりけり承安三年重病を うけて日来なやみけるか少よくなりたりけれとも猶/s392l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/392 れいのさまにはなかりけりさりなから八月以前に上洛 して釈奠にまいらむと思たちけりしたしき物 ともせいしけれとも猶しゐてのほりぬ八月七日疲 極しなから小袖のうへに下重うへの衣斗をきて 廟門にまいりたりけるに宴座とまりけれはま かり出にけりさしもはるかなる道をしかも病に つかれたる身にてからくしてのほりたるにむなし くて出にけるいかにほいなかりけむ心さしのいた り是も宿執にひかれて哀なり/s393r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/393