[[index.html|古今著聞集]] 宿執第二十三 ====== 486 白河院の御時時資を召して御寵童二郎丸に貴徳納蘇利等の秘事を授くべきよし・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 白河院((白河天皇))の御時、時資を召して、御寵童二郎丸に貴徳(きとく)・納蘇利(なそり)等の秘事を授くべきよし勅定ありけるに、時資、再三辞し申して教へず。「かやうの童部は、当時こそ候へ、成人の後は、わが業にあらねば、これを秘すべからず。世のため道のため、陵遅(りようち)の基に候ふ」とて、つひに授けず。これによりて、天気よからずなりにけり。 その後、則季((狛則季))を召して、青海波(せいがいは)等の左の舞の秘事どもを伝ふべきよし、仰せられければ、勅に応じて、ことごとく授けてけり。これによりて、則季、北面ゆるされて、左衛門尉に任ぜられにけり。 その後、二郎丸が寵さがりて、やうやう退けられにければ、伯耆国に落ち下りてありける間に、青海波の秘事、少々散らしけるとかや。院、そのよしを聞こし召して、「時資が先年の言葉むなしからず。あひかなひて侍り」とぞ仰せごとありける。 その後、八幡別当頼清((紀頼清))が寵童小院(基政((大神基政))也)・石寿(清方((藤井清方))也)おのおのに舞を習はせけり。小院をば光季((狛光季))につけて陵王を習はせければ、一事残さずことごとく伝へたるよし、起請を書きて渡してけり。石寿をば助忠((多資忠))につけて納蘇利を伝へけり。手におきてはこれを略せず、口伝はひかへたるよし申して、起請文に及ばず。 頼清、深く恨みて院に申しければ、勅定に、「このこと力及ばさることなり。はやく二郎が青海波に事切れにき。かくのごとくに秘すればこそ、道は道にてあれ」とぞ仰せられける。 まことに、何のいみじきこととても、あさあさしく散りぬれば、念なかりぬべし。また、かたく秘するも罪深し。とにもかくにも、諸道の宿執よしなきことにや。 ===== 翻刻 ===== 白河院の御とき時資をめして御寵童二郎丸 に貴徳納蘇利等の秘事をさつくへきよし勅定/s388r ありけるに時資再三辞申してをしへすかやうの童 部は当時こそ候へ成人の後はわか業にあらねは 是を秘すへからす世のため道のため陵遅の基に 候とてつゐにさつけすこれによりて天気よか らすなりにけり其後則季をめして青海波等の 左の舞の秘事ともをつたふへきよし仰られけれは 勅に応して尽さつけてけりこれによりて則季北 面ゆるされて左衛門尉に任せられにけり其後 二郎丸か寵さかりてやうやうしりそけられにけれは伯 耆国におちくたりてありけるあひたに青海波の秘 事少々ちらしけるとかや院そのよしをきこしめして http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/388 時資か先年の詞むなしからすあひかなひて侍り とそおほせことありける 其後八幡別当頼清か寵童小院(基政/也)石寿(清方/也)各々 に舞をならはせけり小院をは光季につけて陵王を ならはせけれは一事のこさすことことくつたへたるよし 起請を書てわたしてけり石寿をは助忠につけて納 蘇利をつたへけり手におきては是を略せす口伝は ひかへたるよし申て起請文におよはす頼清ふかく 恨て院に申けれは勅定に此事力をよはさる事也 はやく二郎か青海波に事切にきかくのことくに秘 すれはこそ道はみちにてあれとそおほせられける/s389r 誠になにのいみしき事とてもあさあさしくちりぬれ は念なかりぬへし又かたくひするもつみふかしとに もかくにも諸道の宿執よしなきことにや/s389l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/389