[[index.html|古今著聞集]] 宿執第二十三 ====== 482 承保二年八月二十八日同じ院に行幸なりて競馬ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 承保二年八月二十八日(白河)、同じ院((高陽院。[[s_chomonju481|481参照]]))に行幸((白河天皇の行幸))なりて、競馬(くらべうま)ありけり。秦近重と下野助友と番(つが)ひけり。 近重は御室に参じて、鞭加持(むちかぢ)のことを申し入れ、助友は、「御室に等しき有験の僧、誰(たれ)かはあらん」と思ひめぐらして、義範僧都のもとへ向ひて申しけり。義範の言はれけるは、「今度の加持、難治なり。勝ちて死なんとや思ふ、負けて生きむとや思ふ。両様を思ひ定むべし」と言はれければ、助友、ただ勝ちて死ぬべきよしを言ふ。「さらば」とて、加持せられけり。 その日、左右うち出でて鞭を当てたりけるに、助友すでに抜けて勝ちける時、御室見物しておはしましけるが、五鈷を投げ出だされたる時、助友落馬して、やがて死ににけり。命に代へておぼえけむ((「おぼえけむ」は底本「おほしけむ」。諸本により訂正。))執心の深さ、よしなきことなり。 このこと、助信・助友(([[s_chomonju481|481]]の助信・種武の誤りか。))が番(つがひ)にただ同じさまに聞こえ侍るは、同じことの二度侍りけるにや。くはしく尋ね知るべし。 ただし、承保の江記に侍るは、「近重勝ち、末にて助友が馬、近重を踏む。いくばくの日を経ず死ぬ」。承保以後の競馬の記ども、助友つかうまつりたるよし見えて侍り。されば、助友が死にたるよし見えたるは、近重を書き誤てるにや。かたがたおぼつかなし。 ===== 翻刻 ===== (白川)承保二年八月廿八日同院に行幸なりて競馬 ありけり秦近重と下野助友と番けり近重は 御室に参して鞭加持の事を申入助友は御室に ひとしき有験の僧たれかはあらんと思めくらして/s385l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/385 義範僧都のもとへむかひて申けり義範のいは れけるは今度(加持)難治也勝てしなんとやおもふ負て いきむとや思ふ両様を思さたむへしといはれけれは 助友たた勝てしぬへきよしをいふさらはとて加持せ られけり其日左右打いてて鞭をあてたりけるに 助友すてにぬけてかちける時御室見物してお はしましけるか五鈷をなけいたされたる時助友 落馬してやかて死にけり命にかへておほしけむ 執心のふかさよしなき事也此事助信助友か番に たたおなしさまにきこえ侍るは同事の二度侍け るにやくはしくたつねしるへし但承保の/s386r 江記に侍は近重勝すゑにて助友か馬近重 をふむいくはくの日をへす死ぬ承保以後の競 馬の記とも助友つかうまつりたるよし見えて侍 りされは助友か死にたるよしみえたるは近重を 書あやまてるにやかたかたおほつかなし/s386l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/386