[[index.html|古今著聞集]] 哀傷第二十一 ====== 471 明義門院寛元元年三月二十九日にかくれさせ給ひにしを・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 明義門院((順徳天皇皇女諦子内親王))、寛元元年三月二十九日にかくれさせ給ひにしを、侍従隆祐((藤原隆祐。隆祐は底本「隆」なし。諸本により補う。))、備後国にて聞き参らせて、詠みて送り侍りし。   袖の上に弥生の雨の晴れやらで陰と頼みし花や恋しき この歌をはるかにほど経て持ちて来たられしに、その年の九月に、また陰陽門院((土御門天皇皇后、大炊御門麗子・藤原麗子。))失せさせおはしまししかば、醍醐殿の御葬家にこもり侍りしに、かの使(つかひ)下るとて、返事乞ひ侍りしかば、人に書かせてつかはし侍りし、   思ひやれ弥生の雨も晴れやらでまた時雨そふ秋の山里 ===== 翻刻 ===== 明義門院寛元元年三月廿九日にかくれさせ給にし を侍従祐備後国にてききまいらせてよみて送侍し  袖のうへにやよひの雨の晴やらてかけとたのみし花や恋しき 此歌をはるかに程へてもちて来れしにその年の 九月に又陰陽門院失させをはしまししかは醍醐殿 の御葬家にこもり侍しにかのつかひくたるとて 返事こひ侍しかは人にかかせてつかはし侍し  思やれやよひの雨もはれやらて又時雨そふ秋の山里/s369r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/369