[[index.html|古今著聞集]] 哀傷第二十一 ====== 459 仁平元年九月七日の夜菅登宣が夢に故式部権少輔成佐法師が形にて痩せ・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 仁平元年九月七日の夜、菅登宣((菅原登宣))が夢に、故式部権少輔成佐((藤原成佐))、法師が形にて痩せいまいましげにて、青き衣に袴を着て、三途を逃れざるよしを語る。登宣、「平生に立つるところの儀いかに」と尋ねければ、「炎魔王((閻魔王))の疑難を得ては、その儀を述ぶることあたはず」と言ひけり。 成佐、漢才に長じてよく仁義礼智信を知りたりけれども、後生のことを悟らずして、かかる苦しみを得けるにや。悲しむべきことなり。 同じ十一月二十九日、宇治の大臣(おとど)((藤原頼長))、成佐が弟子ともに支配して、一日に三尺の地蔵菩薩の像を図絵し、法華経一部を書写して、成佐が妻がもとにて供養せられける。大臣は成佐が弟子にておはしましけり。 久寿元年の春のころ、大臣の勾当有忠((源有忠))が夢に、成佐鬼道にありといへども、人を害する心なしと見たりけり。いかなりけることにか。 ===== 翻刻 ===== 仁平元年九月七日夜菅登宣か夢に故式部権 少輔成佐法師かかたちにてやせいまいましけにて あをき衣に袴をきて三途をのかれさるよしを語登 宣平生にたつる処の儀いかにと尋けれは炎魔王 の疑難をえては其儀をのふる事あたはすといひ けり成佐漢才に長してよく仁義礼智信をしり たりけれとも後生の事をさとらすしてかかるくるし みをえけるにやかなしむへき事也 同じ十一月廿九日宇治のおとと成佐か弟子ともに支配し て一日に三尺地蔵菩薩の像を図絵し法花経/s362r 一部を書写して成佐か妻かもとにて供養せら れけるおととは成佐か弟子にてをはしましけり久 寿元年の春の比おととの勾当有忠か夢に成佐 鬼道にありといへとも人を害する心なしとみたり けりいかなりける事にか/s362l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/362