[[index.html|古今著聞集]] 偸盗第十九 ====== 435 正上座といふ弓の上手若かりける時三河国より熊野へ渡りけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 正上座((行快))といふ弓の上手、若かりける時、三河国より熊野へ渡りけるに、伊勢国いらごの渡りにて海賊にあひにけり。 悪徒等が舟すでに((「すでに」は底本「すてゝ」。諸本により訂正。))近付きて、「御米参らせよ」と言ひけるを、正上座、人を出だして言はせけるは、「これは熊野へ参る御米なり。賊徒等、望みあるべからず」。悪徒にかく言ふを聞きて、「熊野の御米と見ればこそ、さうなくはとどめね。しからずは、かくまて言葉にて言ひてんや」と言ふ。上座、その時腹巻きて、弓に蟇目(ひきめ)一つ、神頭(じんどう)一つを取り具して、楯つかせて舟の舳(へ)に進み((「進み」は底本「すみ」。諸本により訂正。))出でて、「悪徒等が望み申すこと、いかにもかなふべからず。とどめぬべくは、御米なりとも、とどめよかし」と言ふを、海賊一人、物具(もののぐ)して出で向ひて、言葉戦ひをしけり。 海賊が舟に幕引きまはして、楯つきて、その中に悪徒等その数多くあり。しばし言葉戦ひして、上座、まづ蟇目をもて海賊を射たるに、海賊くぐまりて矢を上へ通しけり。蟇目、耳を響かして通りぬれば、すなはち立ち上がる所を、いつの間にか矢つぎしつらん、神頭をもて、立ち上がる目のあひを射て、うつぶしに射伏せてけり。 この矢つぎの早さに、海賊等驚きて、「これは誰(たれ)にておはしまし候ふぞ」と問ひたりければ、「なんぢら知らずや、正上座行快ぞかし」と名乗りて、「『この辺の海賊は、さだめて熊野だちの奴原(やつばら)にてこそあるらめ』と思へば、優如(いうじよ)して、これをもて並みをば見するぞ」と言ひたりけるに、海賊等、「さらば、始めよりさは仰せられで。希有(けう)にあやまちすらんに」とて、漕ぎ帰りにけり。 ===== 翻刻 ===== 正上座といふ弓の上手わかかりける時参川国 より熊野へわたりけるに伊勢国いらこのわたりにて/s332l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/332 海賊にあひにけり悪徒等か舟すててちかつきて御 米まいらせよといひけるを正上座人を出して いはせけるはこれは熊野へまいる御米なり賊徒等 のそみあるへからす悪徒にかくいふをききて熊野 の御米とみれはこそ左右なくはととめねしから すはかくまて詞にていひてんやといふ上座其時 腹巻きて弓にひきめ一しんとう一をとりくし てたてつかせて舟のへにすみいてて悪徒等か のそみ申事いかにもかなふへからすととめぬへく は御米なりともととめよかしといふを海賊 一人もののくして出向てことはたたかひをしけり/s333r 海賊か舟に幕引まはしてたてつきて其中 に悪徒等その数おほくありしはし詞たたかい して上座まつ引目をもて海賊を射たる に海賊くくまりて箭を上へとをしけりひきめ 耳をひひかして通ぬれは則立あかる所をい つのまにか矢つきしつらんしんとうをもて たちあかる目のあひを射てうつふしにいふ せてけり此矢つきのはやさに海賊等おとろき てこれはたれにてをはしまし候そと問たりけれは 汝等しらすや正上座行快そかしと名乗て 此辺の海賊はさためて熊野たちの奴原に/s333l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/333 てこそあるらめとおもへは優如してこれをもて 手なみをはみするそといひたりけるに海賊等さ らははしめよりさは仰られて希有にあや まちすらんにとてこきかへりにけり/s334r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/334