[[index.html|古今著聞集]] 画図第十六 ====== 387 弘高地獄変の屏風を書きけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 弘高((巨勢広高。弘高・広貴・広孝とも書く。底本は「広高」に「弘歟」と傍書。あとの本文中に「弘高」とあるので傍書に従い、「弘高」に統一する。))、地獄変の屏風を書きけるに、楼の上より桙(ほこ)((「桙」は底本「杵」。諸本により訂正。))をさし下ろして、人を刺したる鬼を描きたりけるが、ことに魂入りて見えけるを、みづから言ひけるは、「おそらくは、わが運命尽きぬ」と。果していくほどなくて失せにけり。六条宮(具平)((村上天皇皇子具平親王))、御堂((藤原道長))に申し給ひけるは、「布障子の役などには、今は弘高をば召さるべからず。軽々なるべきことなり」。弘高、聞きて自愛しけり。 この弘高は、金岡((巨勢金岡))が曾孫、公茂((巨勢公茂))が孫、深江((巨勢深江))が子なり。公忠((巨勢公忠))(公茂兄)よりさきは、描きたる絵、生たる物のごとし。公茂以下(いげ)、今の体にはなりたるとなん。 弘高、少年の時、出家したりけるが、後に還俗(げんぞく)したるなり。その罪を恐れて、みづから千体の不動尊を書きて、供養しけるとなん。 ===== 翻刻 ===== 広(弘歟)高地獄変の屏風を書けるに楼の上よ り杵をさしおろして人をさしたる鬼をかき たりけるかことに魂入てみえけるをみつから いひけるはおそらくは我運命つきぬとはた して幾程なくて失にけり六条宮(具平)御 堂に申給けるは布障子の役なとにはい まは弘高をはめさるへからす軽々なるへき事也 弘高ききて自愛しけり此弘高は金岡か曾孫 公茂か孫深江か子なり公忠(公茂兄)よりさきはかきたる絵 生たる物のことし公茂以下今の体には成たるとなん弘高 少年の時出家したりけるか後に還俗したるなり其罪をおそれて/s294r みつから千体の不動尊を書て供養しけるとなん/s294l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/294