[[index.html|古今著聞集]] 相撲強力第十五 ====== 381 近ごろ近江国海津に金といふ遊女ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 近ごろ、近江国海津(かいづ)に金といふ遊女ありけり。その所の沙汰のものなりける法師の妻にて、年ごろ住みけるに、件(くだん)の法師、またあらぬ君に心移して通ひけるを、金、漏れ聞きて、やすからず思ひけり。 ある夜、合宿したりけるに、法師、何心なくて、例のやうに、「かの事くはだてん」とて、股に挟まりたりけるを、その弱腰を強く挟みてけり。しばしは戯(たはぶ)れかと思ひて、「外せ外せ」と言ひければ、なほ挟みつめて、「わ法師めが、人あなづりして、人こそあらめ、おもてを並べたる者に心移して、ねたき目見するに、もの習はかさん」と言ひて、ただ締めに締めまさりければ、すでに泡を吹きて死なんとしけり。その時外しぬ。法師は、くたくたと絶え入りて、わづかに息ばかりぞかよひける。水吹きなどして、一時ばかりありて生きあがりにけり。 かかりけるほどに、そのころ東国の武士大番((「大番」は底本「大従」に「番歟」と傍書。傍書に従う。))にて京上りすとて、この海津に日高く宿しけり。馬ども湖((琵琶湖))に引き入れて冷しける。その中に、竹の棹さしたる馬のゆゆしげなるが、物に驚きて走りまひける。人あまた取り付きて、引きとどめけれども、ものともせず引きかなぐりて走りけるに、この遊女行き合ひぬ。少しも驚きたることもなくて、高き足駄を履きたりけるに、前を走る馬のさし縄の先を、むずと踏まへてけり。踏まへられて、馬かひこづみて、やすやすととどまりにけり。人々目を驚かすことかぎりなし。その足駄、砂子(すなご)に深く入りて、足首まで埋(うづ)まれにけり。 それより、この金、大力((「大力」は底本「太刀」。諸本により訂正。))の聞こえありて、人おぢあへりける。みづから言ひけるは、「童(わらは)をば、いかなる男といふとも、五・六人してはえ従へじ」とぞ自称しける。ある時は手をさし出だして、五つの指ごとに弓を張らせけり。五張を一度に張らせける指ばかりの力、かくのごとし。まことにおびたたしかりけるなり。 ===== 翻刻 ===== 近比近江国かいつに金といふ遊女ありけりそ/s280r の所の沙汰の物なりける法師の妻にて年比 すみけるに件法師又あらぬ君に心うつしてかよ ひけるを金もれききてやすからすおもひけり 或夜合宿したりけるに法師なに心なくてれい のやうにかの事くわたてんとてまたにはさまり たりけるを其よは腰をつよくはさみてけり しはしはたはふれかとおもひてはつせはつせとい ひけれはなをはさみつめてわ法師めか人あな つりして人こそあらめおもてをならへたる物に心 うつしてねたきめ見するに物ならはかさんと云て たたしめにしめまさりけれはすてにあはをふきて/s280l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/280 死なんとしけり其時はつしぬ法師はくたくたと絶 入てわつかに息斗そかよひける水ふきなと して一時はかりありていきあかりにけりかかりける 程にその比東国の武士大従(番歟)にて京上すとて 此かいつに日たかく宿しけり馬とも湖に引入て ひやしける其中に竹の棹さしたる馬のゆゆ しけなるか物に驚てはしりまいける人あ また取付て引ととめけれとも物ともせす引かな くりて走けるにこの遊女行あひぬすこしもお とろきたる事もなくてたかき足太をはきた りけるに前をはしる馬のさし縄のさきを/s281r むすとふまへてけりふまへられて馬かひこつ みてやすやすとととまりにけり人々目を驚かす 事かきりなし其足太すなこにふかく入てあし くひまてうつまれにけりそれより此金太刀のき こえありて人おちあへりける身つからいひけるは 童をはいかなる男といふとも五六人してはゑした かへしとそ自称しけるある時は手をさしいたして 五の指ことに弓をはらせけり五張を一度にはらせ けるゆひはかりのちからかくのことしまことにおひ たたしかりける也/s281l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/281