[[index.html|古今著聞集]] 馬芸第十四 ====== 364 武蔵国の住人都築の平太経家は高名の馬乗り馬飼ひなりけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 武蔵国の住人、都築(つづき)の平太経家は、高名(かうみやう)の馬乗り・馬飼ひなりけり。平家の郎等なりければ、鎌倉右大将((源頼朝))召し取りて、景時((梶原景時))にあづけられにけり。 その時、陸奥(みちのく)より、勢大きにして猛(たけ)き悪馬を奉りたりけるを、いかにも乗る者なかりけり。聞こえある馬乗りどもに、面々に乗せられけれども、一人もたまる者なかりけり。幕下((源頼朝))、思ひわづらはれて、「さるにても、この馬に乗る者なくてやまむこと、口惜しきことなり。いかがすべき」と、景時に言ひ合はせ給ひければ、「東八ヶ国に今は心にくき者候はず。ただし、召人(めしうど)経家ぞ候ふ」と申しければ、「さらば召せ」とて、すなはち召し出だされぬ。白水干に葛(くず)の袴をぞ着たりけり。 幕下、「かかる悪馬あり。つかうまつりてんや」とのたまはせければ、経家かしこまりて、「馬は必ず人に乗らるべき器にて候へば、いかに猛きも、人にしたがはぬことや候ふべき」と申しければ、幕下、入興(じゆきやう)せられけり。「さらば、つかうまつれ」とて、すなはち馬を引き出だされぬ。まことに大きに高くして、あたりを払ひて跳ね回りけり。 経家、水干の袖くくりて、袴のそば高く挟みて、烏帽子(えぼうし)かけして、庭に下り立ちたる気色、まづゆゆしくぞ見えける。かねて存知したりけるにや、轡(くつわ)をぞ持たせたりける。その轡をはげて、さし縄取らせたりけるを、少しもことともせず跳ね走りけるを、さし縄にすがりて、たぐり寄りて乗りてけり。やがてまり上がりて出でけるを、少し走らせて、うちとどめて、のどのどと歩ませて、幕下の前に向けて立てたりけり。見る者、目を驚かさずといふことなし。よく乗らせて、「今はさやうにてこそあらめ」とのたまはせける時、下りぬ。おほきに感じ給ひて、勘当許されて、厩(うまや)の別当になされにけり。 かの経家が馬飼ひけるは、夜半ばかりに起きて、何にかあるらん、白き物を一土器(かはらけ)ばかり手づから持て来たりて、必ず飼ひけり。すべて夜々ばかり物を食はせて、夜明くれば、はだけ髪結はせて、馬の前には草一把も置かず、さわさわと掃かせてぞありける。 幕下、富士川あいさわの狩りに出でられける時は、経家は馬七・八疋に((底本「に」なし。諸本により補う。))鞍置きて、手縄(てなは)結びて、人も付けずうち放ちて侍りければ、経家が馬の尻にしたがひて行きけり。さて狩庭にて、馬の疲れたる折には、召しにしたがひてぞ参らせける。 今の代には、かくほどの馬飼ひも聞こえず。その飼ひけるやうに伝へたるものなし。経家いふかひなく入海して死にければ、知る者なし。口惜しきことなり。 ===== 翻刻 ===== 武蔵国住人つつきの平太経家は高名の馬乗馬 飼なりけり平家の郎等なりけれは鎌倉右大 将めしとりて景時にあつけられにけり其時陸奥 より勢大きにしてたけき悪馬をたてまつり たりけるをいかにも乗物なかりけりきこえある馬 乗ともに面々にのせられけれとも一人もたまる物/s264l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/264 なかりけり幕下思わつらはれてさるにても此馬に 乗物なくてやまむ事口惜事也いかかすへきと景時 にいひあはせ給けれは東八ヶ国にいまは心にくき物 候はす但召人経家そ候と申けれはさらはめせとて則 召いたされぬ白水干に葛の袴をそきたりけり 幕下かかる悪馬ありつかうまつりてんやとのたまは せけれは経家かしこまりて馬はかならす人にのら るへき器にて候へはいかにたけきも人にしたかはぬ事 や候へきと申けれは幕下入興せられけりさらはつ かうまつれとて則馬を引出されぬまことに大き にたかくしてあたりをはらひてはねまはりけり経家/s265r 水干の袖くくりて袴のそはたかくはさみてゑ ほうしかけして庭におり立たるけしきまつ ゆゆしくそ見えけるかねて存知したりけるにや 轡をそもたせたりけるその轡をはけてさし縄とらせ たりけるをすこしも事ともせすはねはしりける をさし縄にすかりてたくりよりて乗てけりやかてま りあかりて出けるをすこしはしらせてうちととめて のとのととあゆませて幕下の前にむけてたて たりけり見る物目をおとろかさすといふ事なし よくのらせていまはさやうにてこそあらめとのた まはせける時おりぬ大きに感し給て勘当ゆ/s265l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/265 るされて厩別当になされにけりかの経家か馬飼 けるは夜半はかりにをきてなににかあるらん白き物 を一かはらけはかり手つからもて来りてかならす飼 けりすへて夜夜はかり物をくはせて夜あく れははたけ髪ゆはせて馬の前には草一把もお かすさわさわとはかせてそありける幕下富士 川あいさわの狩に出られける時は経家は馬七八疋鞍 置て手縄むすひて人も付すうち放て侍けれは経家 か馬のしりにしたかひて行けりさて狩庭にて馬の つかれたるおりにはめしにしたかひてそまいらせける 今の代にはかく程の馬飼もきこえすその飼/s266r けるやうにつたへたる物なし経家いふかひなく入海し て死けれは知者なし口惜事也/s266l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/266