[[index.html|古今著聞集]] 弓箭第十三 ====== 344 延長五年四月十日弾正親王内裏にて小弓の負態せさせ給ひける・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 延長五年四月十日、弾正親王((醍醐天皇皇子重明親王))、内裏にて、小弓の負態(まけわざ)せさせ給ひける。 酒肴(しゆかう)など果てて、夕べになりて、清涼殿の東の廂(ひさし)にて、また小弓ありけり。前には弾正親王重明、後には三品親王・清貫民部卿((藤原清貫))、このほかの人々もつかまつりけり。 女装束一重(ひとかさね)、懸物(かけもの)に出だされたりけるを、弾正親王の宮、取り給ひにけり。勝方(かちかた)の拝などありけるとかや。その負態は二十三日にこそし給ひけれ。 ===== 翻刻 ===== 延長五年四月十日弾正親王内裏にて小弓の負態 せさせ給ける酒肴なとはてて夕へになりて清涼殿 の東の廂にて又小弓ありけり前には弾正親王重 明後には三品親王清貫民部卿この外の人々も仕まつ りけり女装束一重かけ物に出されたりけるを弾正親 王宮とり給にけり勝方の拝なとありけると かやそのまけわさは廿三日にこそし給けれ/s254r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/254