[[index.html|古今著聞集]] 武勇第十二 ====== 340 九郎判官義経右大将の勘気の間都を落ちて西国の方へ行きける時・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 九郎判官義経((源義経))、右大将((源頼朝))の勘気の間、都を落ちて西国の方へ行きける時、渡部の緩・源次馬允番((源番(つがふ)・渡辺番・渡部番。底本「番」に「ツカウ」と傍書。))のもとによりて、ことのよしを言ひければ、番、あはれみて見送りけり。後に((「後に」は底本「緩に」。諸本により訂正。))そのこと聞こえて、番、関東へ召されて、梶原((梶原景時))にあづけられにけり。十二年まて置かれたりけるに、番、毎日に髻(もとどり)を取りて、「今日や斬られんずらむと」ぞ侍りける。 さるほどに、右大将、高麗国を責めし時の追討使に、天野の式部大夫遠景((天野遠景))向ひけり。大将家のきりものにて、次官藤内(すけのとうない)といはれし藤内はこれなり。西国九国を知行の間、その勢ひいかめし。高麗国うちしなへて上洛の時、渡部にて、番が妹にとつぎにけり。あひ具して関東に下向しければ、番が親類・郎等ども、悦びをなして、「さりとも今は、馬殿((番))の召し籠めは許(ゆ)り給ひなむ」と悦びあへりけり。遠景も、「宿縁浅からず。この上は、かの御気色におきては、いかにも申し許すべし。御承引なくは、遠景申あづかるべし」と言ひければ、いよいよ悦ぶことかぎりなし。 さて、関東に下り着きて、いつしか使を番がもとへつかはして言ひけるは、「思ひがけず、かく侍るゆかりになり参らせて候ふ。今におきては、ひとへに親ともたのみ奉るべし。内外につきて疎略を存ずべからず」と言ひやりけり。 番、多年の召人(めしうど)にて、「今日斬らるべし、今日斬らるべし」と言ひて、十余年に及びけれども、方人(かたうど)一人もなければ、申しなだむる者なし。たまたまかかる縁出で来たることは、いかばかりかは嬉しかるべきに、番が言ひけるは、「弓矢とる身の、かかる目にあひて召し籠めにあづかる、恥にてあらず。さこそ無縁の身なれども、あながちにそのぬし、乞ひ願ふべき聟にあらず」とて、返事に言ひけるは、「悦びて承りぬ。まことに傍輩(はうばい)として申し奉らんこと、もつとも本意候ふ。親しくならせ給ふのよしのこと、存知しがたく候ふ。番は独身(ひとりみ)の者にて候へば、御ゆかりになり参らす((「参らす」は底本「まいらせ」。諸本により訂正。))べきこと候はず」と、荒らかに言ひたりければ、遠景、おほきに憤り、やすからぬことに思ひて、ともすれは大将に、「番は極めたる痴れ者にて候ふ。いかにも、なほ悪しきことし出ださむずる者にて候ふ。放ちたてらるまじきなり」と申しければ、いよいよ重くなりまさりにけり。されども番は、少しもいたまず、「男(をのこ)の身は、いついかなるべしとても、人悪(わろ)かるべきことはなし」とて、ものともせざりけり。 かかるほどに、大将、康衡((藤原泰衡))を討つとて、奥責めを思ひ立ちて、兵(つはもの)をそろへらるべきこと出で来にけり。その時、番を召してのたまひけるは、「なんぢをとうにいとまとらすべかりしかども、この大事を思ひて、今日まで生けておきたるなり。身の安否(あんぷ)は((「身の安否は」は底本「身の安否はこの安否は」。諸本により訂正。))、このたびの合戦によるべし」とて、鎧・馬・鞍など賜はりければ、かしこみ悦びて向ひけり。 まことに身命を惜しまず、ゆゆしかりければ、勘気ゆりて、本領返し給ひて、ふたたび旧里に帰りき。 この番は無双の手ききにて侍りけり。渡部にてしかるべき客人の来たりける時、鯉はぜをしけるには、矢をたばさみて、をどる鯉を一つも外さで射けり。網に入るには漏るる方も多し。それは一つも漏らさず射とどめければ、みな人目を驚かしけり。 ===== 翻刻 ===== 九郎判官義経右大将の勘気の間都を落て 西国の方へ行ける時渡部の緩源次馬允番(ツカウ)も とによりて事のよしをいひけれはつかふ/s250r あはれみて見おくりけり緩に其事きこえて 番関東へめされて梶原にあつけられにけり十二 年まておかれたりけるに番毎日に本鳥を取て 今日やきられんすらむとそ侍けるさる程に右大 将高麗国を責し時の追討使にあま野の 式部大夫遠景向けり大将家のきり物にて 次官藤内といはれし藤内は是也西国九国を 知行之間其いきをひいかめし高麗国うち しなへて上洛の時渡部にて番か妹にとつ きにけり相具して関東に下向しけれは番か親 類郎等とも悦をなしてさりとも今は馬殿の/s250l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/250 召籠はゆり給なむと悦あへりけり遠景も 宿縁あさからすこのうへは彼御気色におきては いかにも申ゆるすへし御承引なくは遠景 申あつかるへしといひけれはいよいよ悦事 かきりなしさて関東にくたり付ていつしか 使を番かもとへ遣ていひけるは思かけすかく 侍ゆかりになりまいらせて候今におきてはひと へに親とも憑奉るへし内外に付て疎略を 存すへからすといひやりけり番多年の召 人にて今日きらるへし今日きらるへしといひて十余年 に及けれともかたう人一人もなけれは申/s251r なたむる物なしたまたまかかる縁出来事は 何許かはうれしかるへきに番かいひけるは 弓矢とる身のかかる目に相て召籠に預る 恥にてあらすさこそ無縁の身なれともあなかちに そのぬしこひねかふへき聟にあらすとて返事に いひけるは悦て奉ぬ誠に傍輩として申奉らん 事尤本意候したしくならせ給之由のこと 存 知しかたく候番は独身の物にて候へは御ゆかり になりまいらせへき事候はすとあららかにいひ たりけれは遠景おほきにいきとほりやすから ぬ事に思てともすれは大将に番は極たるし/s251l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/251 れ物にて候何にもなをあしき事しいたさむする 物にて候はなちたてらるましきなりと申しけ れはいよいよおもく成まさりにけりされとも番は すこしもいたますおのこの身はいついかなる へしとても人わろかるへき事はなしとて物 ともせさりけりかかるほとに大将康衡を打 とて奥責を思たちて兵をそろへらるへき 事出来にけり其時番を召てのたまひ けるは汝をとうにいとまとらすへかりしか とも此大事を思て今日まていけておきたる 也身の安否はこの安否はこのたひの合戦によるへし/s252r とて鎧馬鞍なと給りけれは畏悦て向けり実 に身命をおしますゆゆしかりけれは勘気ゆりて 本領返し給て二度旧里に帰き此番は無双 の手ききにて侍りけり渡部にてしかるへ き客人のきたりける時鯉はせをしけるには 箭をたはさみておとる鯉を一もはつさて射 けり網に入にはもるる方もおほしそれは 一ももらさすいととめけれは皆人目を驚かしけり/s252l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/252