[[index.html|古今著聞集]] 武勇第十二 ====== 335 頼光朝臣寒夜にものへ歩て帰りけるに頼信の家近く寄りたれば・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 頼光朝臣((源頼光))、寒夜に、ものへ歩(あり)きて帰りけるに、頼信((源頼信。頼光の弟。))の家近く寄りたれば、公時((坂田金時))を使にて、「ただ今こそまかり過ぎ侍れ。この寒さこそはしたなけれ。美酒侍りや」と言ひやりたりければ((「やりたりければ」は底本「けりたりけれは」。諸本により訂正。))、頼信、折節酒飲みてゐたりける時なりければ、興に入りて、「ただ今見むやうに申し給ふべし。この仰せことに悦び思ひ給ひ候ふ。御渡りあるべし」と言ひければ、頼光すなはち入りにけり。 盃酌(はいしやく)の間、頼光、厩(うまや)の方を見やりたりければ、童を一人いましめて置きたりけり。怪しみて、頼信に、「あれにいましめて置きたる((「たる」は底本「たき」。諸本により訂正。))者は誰(た)そ」と問ひければ、「鬼同丸なり」と答ふ。頼光驚きて、「いかに鬼同丸などを、あれていにはいましめ置き給ひたるぞ。犯しある者ならば、かくほどあだにはあるまじきものを」と言はれければ、頼信、「まことにさることに候ふ」とて、郎等を呼びて、なほしたたかにいましめさせければ、金鏁(かなぐさり)を取り出だして、よく逃げぬやうに したためてけり。鬼同丸、頼光ののたまふことを聞くより、「口惜しきものかな。何ともあれ、今夜のうちにこの恨みをば報はむずるものを」と思ひゐたりけり。 盃酌数献になりて、頼光も酔(ゑ)ひて臥しぬ。頼信も入りにけり。夜の中、静まるほどに、鬼同丸、究竟(くつくやう)の者にて、いましめたる縄・金鏁踏み切りて、逃れ出でぬ。狐戸(きつねど)より入りて、頼光の寝たる上の天井にあり。「この天井引き放ちて落かかりなば、勝負すべきこと異儀あらじ」と、思ひためらふほどに、頼光も直人(ただびと)にあらねば、早くさとりにけり。「落ちかかりなば大事なり」と思ひて、「天井に鼬(いたち)よりも((「も」は底本「とも」。諸本により訂正))大きに、貂(てん)よりも小さき物の音こそすれ」と言ひて、「誰か候ふ」と呼びければ、綱((渡辺綱))名乗りて、参りたりけり。 「明日は鞍馬((鞍馬寺))へ参るべし。いまだ夜をこめて、これよりやかて参らんずると、某々、供すべし」と言はれければ、綱、承りて、「みなこれに候ふ」と申してゐたり。鬼同丸、このことを聞きて、「ここにては今はかなふまじ。『酔ひ臥したらば』とこそ思ひつれ、なまさかしきことし出でては悪しかりなむ」と思ひて、「明日の鞍馬の道にてこそ」と思ひ返して、天井を逃れ出でて、鞍馬の方へ向きて、一原野((市原野))の辺にて、便宜(びんぎ)のところを求むるに、立ち隠るべき所なし。野飼ひの牛のあまたありける中に、ことに大きなるを殺して、路頭に引き伏せて、牛の腹をかき破りて、その中に入りて、目ばかり見出だして侍りけり。 頼光、案のごとくに来たりけり。浄衣(じやうえ)に太刀をぞはきたりける。綱・公時・定道((碓井貞光))・季武((卜部季武))等、みな供にありけり。頼光、馬をひかへて、「野のけしき興あり。牛その数あり。おのおの牛おものあらばや」と言はれければ、四天王の輩(ともがら)、われもわれもと懸(か)けて射けり。まことに興ありてぞ見えける。 その中に、綱、いかが思ひけむ、尖(とが)り矢を抜きて、死にたる牛に向ひて弓を引きけり。人、「あやし」と見る所に、牛の腹のほどを指して矢を放ちたるに、死にたる牛、ゆすゆすとはたらきて、腹の内より大の童、打刀(うちがたな)を抜きて、走り出でて、頼光にかかりけり。見れば鬼同丸なりけり。矢を射立てられながら、なほことともせず、敵に向ひけり。 頼光も少しも騒がで、太刀を抜きて、鬼同丸が頸(くび)を打ち落してけり。やがても倒(たふ)れず、打刀を抜きて鞍の前輪(まへつわ)を突きたり。さて頸は鞅(むながい)に食ひ付きたりけるとなむ。 死ぬるまで武(たけ)くいかめしう侍りけるよし、語り伝へたり。まことなりけることにや。さて、頼光はそれより帰りにける。 ===== 翻刻 ===== 頼光朝臣寒夜に物へありきて帰けるに頼信の家 近くよりたれは公時を使にて只今こそ罷過侍れ此 寒こそはしたなけれ美酒侍りやといひけりた りけれは頼信折ふし酒飲てゐたりける時なり/s243r けれは興に入て只今見様に申給へし此仰殊 悦思給候御渡あるへしといひけれは頼光則入に けり盃酌之間頼光厩の方を見やりたりけれは 童を一人いましめて置たりけりあやしみて頼信 にあれにいましめておきたき物はたそと問けれは 鬼同丸なりとこたふ頼光驚ていかに鬼同丸なと をあれていにはいましめ置給たるそおかしある物ならは かくほとあたにはあるましき物をといはれけれは頼信 実にさる事に候とて郎等をよひて猶したたかに いましめさせけれは金鏁を取出てよくにけぬ様に したためてけり鬼同丸頼光のの給事を聞/s243l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/243 より口惜物かな何ともあれ今夜のうちに此恨をは むくはむする物をと思ゐたりけり盃酌数献に成 て頼光も酔て臥ぬ頼信も入にけり夜の中しつまる 程に鬼同丸究竟の物にていましめたる縄金鏁ふみ きりてのかれ出ぬ狐戸より入て頼光のねたるうへの 天井にありこの天井ひきはなちて落かかりなは勝負 すへき事異儀あらしと思ためらふ程に頼光も直 人にあらねは早くさとりにけり落かかりなは大事な りと思て天井にいたちよりとも大にてんよりも ちいさき物の音こそすれといひて誰か候とよひ けれは綱なのりて参たりけり明日は鞍馬へ可参/s244r 未夜を籠て是よりやかてまいらんすると某々共す へしといはれけれは綱奉て皆是に候と申て居 たり鬼同丸此事を聞てここにては今は叶まし酔 臥たらはとこそ思つれなまさかしき事しいててはあし かりなむと思て明日の鞍馬の道にてこそと思ひ かへして天井をのかれ出てくらまのかたへ向て一原野 の辺にて便宜の処をもとむるに立隠へき所なし 野飼の牛のあまたありける中にことに大なるを殺 して路頭に引ふせて牛の腹をかきやふりて其 中に入て目はかり見出して侍けり頼光あんの如く に来たりけり浄衣に太刀をそはきたりける綱公時/s244l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/244 定道季武等皆共にありけり頼光馬をひかへて野の けしき興あり牛その数あり各牛おものあらはやと いはれけれは四天王の輩我も我もと懸て射けり 実に興ありてそ見えける其中に綱いかか思けむ とかり箭をぬきて死たる牛に向て弓を引けり人 あやしと見所に牛の腹のほとをさして矢をはなち たるに死たる牛ゆすゆすとはたらきて腹の内 より大の童打刀をぬきて走出て頼光にかかりけり みれは鬼同丸なりけり矢を射たてられなから猶事 ともせす敵に向けり頼光もすこしもさはかて 太刀をぬきて鬼同丸か頸を打落てけりやかて/s245r もたふれす打刀をぬきて鞍のまゑつはをつきた りさて頸はむなかひにくいつきたりけるとなむ 死ぬるまて武くいかめしう侍りけるよしかたりつた へたり実なりける事にやさて頼光はそれよ り帰にける/s245l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/245