[[index.html|古今著聞集]] 好色第十一 ====== 329 ある人大原の辺を見歩きけるに心憎き庵ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== ある人、大原の辺を見歩(あり)きけるに、心憎き庵ありけり。立ち入りて見れば、主(あるじ)と思しき尼、ただ一人あり。すまひよりはじめて、ことにおきて優(いう)に恥づかしき気(け)したり。 しかるべき先の世の契やありけん、また、この人をたぶらかさんとて、魔や心に入りかはりけん、いかにも、この主を見過ぐして立ち帰るべき心地せざりければ、近くよりてあひしらふに、この人、思はずげに思ひて引き忍ぶを、しひて取りとどめてけり。あさましう、心憂げに思ひたるさま、いとことわりなり。 「何とすとも、ただ今は人もなし。あたり近く聞きおどろくべき庵もなければ、いかにすまふとても、むなしからじ」と思ひて、ねんごろに言ひて、つひに本意遂げてけり。力及ばで、ただ泣き居たる気色、ひとへにわが誤りなれば、かたはらいたきことかぎりなかりけり。 したしくなりて後は、いよいよ思ひそふ心たちまさりて、すべきかたなかりけれども、さてしも、やがてここにとどまるべきことならねば、よくよくこしらへおきて、男帰りにけり。 さてまた二・三日ありて、尋ね来て見れば、もとの住処(すみか)、少しも変はらで主はなし。「隠れたるにや」と、あなぐり求むれども、つひに見えず。先にあひたりし所に、歌をなん書き付けたりける、   世を厭ふつひの住処と思ひしになほ憂きことはおほはらの里 つひに行く方を知らずなりにけり。悪縁に引かれて、思はざる振舞ひをしたれども、げに思ひ入りたる人にこそ侍りけれ。 ===== 翻刻 ===== 或人大原の辺を見ありきけるに心にくきいほりあり けり立入てみれはあるしとおほしき尼たたひとりあり すまひよりはしめて事におきて優にはつかしき けしたりしかるへきさきの世の契やありけん又此人を たふらかさんとて魔や心に入かはりけんいかにもこの あるしを見すくして立帰へき心ちせさりけれは近くより てあひしらふに此人思はすけにおもひてひきしのふをし/s226r ゐてとりととめてけりあさましう心うけに思たるさま いとことはりなりなにとすとも只今は人もなしあたり ちかくききおとろくへきいほりもなけれはいかにすまふと てもむなしからしと思てねんころにいひてつゐにほいとけ てけり力及はてたた泣居たるけしきひとへにわかあやまり なれはかたはらいたき事かきりなかりけりしたしく成て 後はいよいよ思そふ心たちまさりてすへきかたなかりけれとも さてしもやかてここにととまるへき事ならねはよくよくこし らへをきて男帰にけりさて又二三日ありてたつねきて みれはもとのすみかすこしもかはらてあるしはなし隠たる にやとあなくりもとむれともつゐにみえすさきにあひたりし/s226l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/226 所に哥をなんかきつけたりける  世をいとふつゐのすみかと思しに猶うきことはおほはらのさと つゐに行かたをしらす成にけり悪縁にひかれて思はさる 振舞をしたれとも実に思入たる人にこそ侍けれ/s227r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/227