[[index.html|古今著聞集]] 孝行恩愛第十 ====== 308 宇治左府の御記に・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 宇治左府の御記((藤原頼長の日記『台記』))に、 >頼長初以母賤無寵愛。而及長誦習九経、嗜好五音、不受酒、不事遊戯。是以禅閤((頼長の父、藤原忠実))及予、以為家宝、尊重甚云々。 >>頼長初め母の賤しきを以て寵愛無し。而るに長ずるに及び九経を誦習し、五音を嗜好し、酒を受けず、遊戯を事とせず。ここを以て禅閤予に及びて、以て家宝と為し、尊重甚し云々。 かかる御おぼえにておはしましける、ゆゆしき御孝養なりし。御母は陸奥守信雅((源信雅。ただし、頼長の母は藤原盛実の女。信雅女は頼長の妻。))女なり。御童名太郎御前とぞ申しける。 久安のころ、法性寺殿((藤原忠通))、摂籙(せつろく)にておはしましけるを、宇治左府に譲り奉るべきよし、知足院殿((藤原忠実))御結構ありけれども、申しゆかざりけり。氏長者には、左府つひになり給ひぬ。内覧の宣旨もかうぶらせ給ひて、ゆゆしかりけり。法性寺殿、御恨み深くて、兄弟の御仲、心よからざりけりとなん。その後、殿下((藤原忠通))・左府、院((鳥羽上皇))の拝礼に参りあひ給ひたりけり。人目を驚かしけり。 ===== 翻刻 ===== 宇治左府御記に頼長初以母賤無寵愛而及長誦習九経 嗜好五音不受酒不事遊戯是以禅閤及予以為家 宝尊重甚云々かかる御おほえにてをはしましけるゆゆしき 御孝養なりし御母は陸奥守信雅女也御童名太郎 御前とそ申ける久安の比法性寺殿摂籙にてをはしまし けるを宇治左府にゆつりたてまつるへきよし知足院殿 御結構ありけれとも申ゆかさりけり氏長者には左府つゐに/s212l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/212 成給ぬ内覧の宣旨もかうふらせ給てゆゆしかりけり法性 寺殿御恨ふかくて兄弟の御中心よからさりけりとなん其後 殿下左府院の拝礼にまいりあひ給たりけり人 目をおとろかしけり/s213r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/213