[[index.html|古今著聞集]] 管絃歌舞第七 ====== 283 同じき三年十一月三十日院にて舎利講を行なはれけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 同じき((久安。[[s_chomonju282|282]]参照。))三年十一月三十日、院((鳥羽法皇の御所。))にて舎利講を行なはれけり。 人々参りて後、信西((藤原通憲))をもて、平調(ひゃうでう)・盤渉調(ばんしきてう)の間、定め申すべきよし、仰せられければ、内府((諸本「宇治」と小書き。藤原頼長))は、「この道に深からず」とて、定め申されず。左大将(雅定((源雅定)))・中御門大納言(宗輔((藤原宗輔。底本「定輔」。諸本により訂正。)))ぞ、「平調よろしかるべし」と申されける。侍従中納言(成通((藤原成通)))は、盤渉調たるべきよし、申されけるとかや。平調たるべきよし、勅定ありけり。 内大臣、左大将笙・侍従中納言、左衛門督((藤原公教))笛・季行朝臣((藤原季行))篳篥。こと果てて((底本「果てて」なし。諸本により補う。))読経ありけり。大納言伊通卿((藤原伊通))、朗詠せられけり。右衛門督(公教((藤原家成の誤り。『台記』は藤原公能とする。)))・季兼朝臣((藤原季兼))、今様を歌ふ。次に壱越調(いちこつてう)また盤渉調の曲などもありけり。左大将多近方に命じて、国風(くにぶり)を歌はせられけり。 さても、このたび万歳楽三反ありけるに、その第三反に、雅楽大夫(うたのだいぶ)清延((戸部清延))、なほ半帖を用ゐたりける、人あやしみとしけり。 ===== 翻刻 ===== 同三年十一月卅日院にて舎利講をおこなはれけり人々 まいりて後信西をもて平調盤渉調の間さだめ申へき よし仰られけれは内府はこの道にふかからすとてさため 申されす左大将(雅定)中御門大納言(定輔)そ平調よろ しかるへしと申されける侍従大納言成通は盤渉調た るへきよし申されけるとかや平調たるへきよし勅定 ありけり内大臣左大将笙侍従中納言左衛門督笛 季行朝臣篳篥事読経ありけり大納言伊通卿/s191r 朗詠せられけり右衛門督公教季兼朝臣今様をうたふ 次壱越調又盤渉調曲なともありけり左大将多近方に 命して国風をうたはせられけりさても今度万歳楽 三反ありけるにその第三反に雅楽大夫清延猶半帖 を用たりける人あやしみとしけり/s191l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/191