[[index.html|古今著聞集]] 和歌第六 ====== 203 承安二年三月十九日前大宮大進清輔朝臣宝荘厳院にて和歌の尚歯会を行ひけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 承安二年三月十九日、前大宮大進清輔朝臣((藤原清輔))、宝荘厳院にて、和歌の尚歯会(しやうしくわい)を行ひけり。七叟、散位敦頼(八十四)((藤原敦頼))・神祇伯顕広王(七十八)((白川顕広王))・日吉禰宜成仲宿禰(七十四)((祝部成仲))・式部大輔永範(七十一)((藤原永範))・右京権大夫頼政朝臣(六十九)((源頼政))・清輔朝臣(六十九)・前式部少輔惟光朝臣(六十三)((大江惟光))。清輔朝臣、仮名序書きたりけり。 敦頼、衣冠に桜の厚衣(あつぎぬ)三を出だして、鳩杖をつきて、久利皮の沓を履きたり。清輔朝臣は布袴(ほうこ)をぞ着たりける。進退の間、大弐重家卿((藤原重家))裾(すそ)を取り、皇后宮亮季経朝臣((藤原季経))沓を履かせけり。両人、清輔朝臣が弟なれども、座次(ざなみ)の上臈にてありけるに、このかみを貴(たふと)みて深くこの礼ありける。悦びにたへず、後日に父顕輔卿、子孫の中にこの道にたへたりとて、清輔朝臣に伝へたりける人丸の影・破子の硯を、重家卿の子息中務権大輔経家朝臣((藤原経家))に譲られけり。和歌の文書、季経朝臣((藤原季経))に譲りてけり。 すべて尚歯会、多くは詩会にこそ侍るに、和歌は珍しきことなり。上古に一度ありけるよし、その時も沙汰ありけれども、確かならぬことにや。その日の日記に侍りけるは、池の水千年(ちとせ)の色をたたへ、石(いは)の苔万代を経たる景色なり。 梢の花落ちつきにければ、庭の面には春なほ残れると見ゆるばかりありて、清輔朝臣誦しける、   かぞふれど止まらぬものをとしといひて今年はいたく老いぞしにける また誦していはく、   老いぬとてなどかわが身をせめぎけん老いずは今日にあはましものか 宮内のかみ((藤原季経))、また敦頼、声を助けけり。 敦頼の主、   おしてるや難波のみつに焼く塩のからくもわれは老いにけるかな また宮内のかみ、   鏡山いざ立ち寄りて見て行かん年経ぬる身は老いやしぬると また清輔朝臣、   老いらくの来んと知りせば門さしてなしと答へて会はざらましを いづれをも、人々あひとりに誦しけり。 次に七叟の歌を講じけり。講師成仲宿禰、読師頼政朝臣なり。 序者清輔朝臣、   散る花は後の春とも待たれけりまたも((「またも」は底本「みも」。諸本により訂正。))来まじきわが盛りはも 散位藤原敦頼、(一座)   まてしばし老木の花にこと問はむ経にける年は誰(たれ)かまされる 大常卿顕広王   年を経て春の景色は変らぬにわが身は知らぬ翁(おきな)とぞなる 前石州別駕祝部成仲、   七十(ななそぢ)に四つ余るまで見る花のあかぬは年は咲きやますらん 李部侍郎永範、   いとひこし老こそ今日は嬉しけれいつかはかかる春にあふべき >予為三代之侍読、迫七旬之頽齢((「頽齢」は底本「頬齢」。諸本により訂正。))。位昇三品、今列七叟。故有此句矣。 >>予三代の侍読と為り、七旬の頽齢に迫る。位三品に昇り、今七叟に列す。故にこの句あり。 右京権大夫源頼政、   六十(むそぢ)余り過ぎぬる春の花ゆゑになほ惜しまるるわが命かな 散位大江惟光、   年経りてみさび生ふてに沈む身の人なみなみに立ち出づるかな 垣下(ゑんが)の座につく人々、重家卿・季経朝臣・盛方((藤原盛方))・仲綱((源仲綱))・政平 ((賀茂政平))・憲盛・允成((祝部允成))・尹範((藤原尹範))・頼照((顕昭の誤りか))、おのおのみな歌あり。別紙にこれを注(しる)す。 この日、左馬権頭隆信((藤原隆信))、さはりありて来ざりけり。またの日、送れりける。   齢(よはひ)をも道をも慕(した)ふわが心行きてぞともに花をながめし 返事、   思ひやる心や来つつたはれけん面影にのみ見えし君かな 大弐、下襲(したがさね)の尻を取り、皇后宮の亮、沓を履かするを感歎して、弁阿闍梨((性阿上人))送りける、   鶴の髪かしづくことはいにしへの鹿(かせぎ)の園(その)の故事(ふること)ぞこれ 返事、  鶴の羽かきつくろひし嬉しさはしかありけりな鹿(しか)の園にも ===== 翻刻 ===== 承安二年三月十九日前大宮大進清輔朝臣宝荘厳院に て和哥の尚歯会を行けり七叟散位敦頼(八十/四)神祇伯 顕広王(七十/八)日吉禰宜成仲宿禰(七十/四)式部大輔永範(七十/一) 右京権大夫頼政朝臣(六十/九)清輔朝臣(六十/九)前式部少輔惟光 朝臣(六十/三)清輔朝臣仮名序かきたりけり敦頼衣冠に桜 のあつきぬ三をいたして鳩杖をつきて久利皮の沓をはきたり/s144l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/144 清輔朝臣は布袴をそきたりける進退のあひた大弐重家 卿裾をとり皇后宮亮季経朝臣沓をはかせけり両人清 輔朝臣か弟なれとも座次の上臈にてありけるにこのかみを たうとみてふかく此礼ありける悦にたへす後日に父顕輔 卿子孫の中にこの道にたへたりとて清輔朝臣に伝たり ける人丸影破子硯を重家卿子息中務権大輔経家朝 臣に譲られけり和哥の文書季経朝臣に譲てけり すへて尚歯会おほくは詩会にこそ侍に和哥はめつらしき 事也上古に一度ありけるよし其時も沙汰ありけれとも たしかならぬ事にやその日の日記に侍けるは池の水千 とせの色をたたへいはの苔万代をへたるけしき也梢の花落/s145r つきにけれは庭の面には春猶のこれるとみゆるはかりあ りて清輔朝臣誦ける  かそふれととまらぬ物をとしといひてことしはいたく老そしにける 又誦云  老ぬとてなとか我身をせめきけん老すはけふにあはまし物か 宮内のかみ又敦頼こゑをたすけけり敦頼主  をしてるや難波のみつにやくしほのからくも我は老にける哉 又宮内のかみ  鏡山いさたちよりてみてゆかん年へぬる身は老やしぬると 又清輔朝臣  おいらくのこんとしりせは門さしてなしとこたへてあはさらましを/s145l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/145 いつれをも人々あひとりに誦しけり次七叟の哥を講し けり講師成仲宿禰読師頼政朝臣也序者清輔朝臣  ちる花は後の春ともまたれけりみもくましきわかさかりはも 散位藤原敦頼(一座)  まてしはし老木の花にこととはむへにけるとしはたれかまされる 大常卿顕広王  年をへて春のけしきはかはらぬに我身はしらぬおきなとそなる 前石州別駕祝部成仲  ななそちによつあまるまてみる花のあかぬは年はさきやますらん 李部侍郎永範  いとひこし老こそけふはうれしけれいつかはかかる春にあふへき/s146r (予為三代之侍読迫七旬之頬齢/位昇三品今列七叟故有此句矣) 右京権大夫源頼政  むそちあまり過ぬる春の花ゆへに猶おしまるる我命かな 散位大江惟光  としふりてみさひおふてにしつむ身の人なみなみに立いつる哉 垣下座につく人々重家卿季経朝臣盛方仲綱政平 憲盛允成尹範頼照をのをのみな哥あり別紙 に注之この日左馬権頭隆信さはりありてこさり けり又の日をくれりける  よはひをも道をもしたふわか心ゆきてそともに花をなかめし 返事/s146l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/146  思やる心やきつつたはれけん面影にのみみえし君かな 大弐下襲のしりをとり皇后宮亮沓をはかするを感 歎して弁阿闍梨をくりける  つるのかみかしつくことはいにしへのかせきのそののふることそこれ 返事  つるのはねかきつくろいしうれしさはしかありけりな鹿のそのにも/s147r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/147