[[index.html|古今著聞集]] 和歌第六 ====== 198 醍醐の桜会に童舞おもしろき年ありけり・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 醍醐の桜会(さくらゑ)に童舞(わらべまひ)おもしろき年ありけり。源運といふ僧、その時少将公とて、見目(みめ)もすぐれて、舞ひもかたへにまさりて見えけるを、宇治の宗順阿闍梨見て、思ひあまりけるにや、あくる日、少将公のもとへ言ひやりける、   昨日見し姿の池に袖濡れてしぼりかねぬといかで知らせん 少将公((底本「公」なし。諸本により補う。))、返事、   あまた見しすがたの池の影なれば誰(たれ)ゆゑしぼる袂(たもと)なるらむ と言へりける、時にとりてやさしかりけり。 中院の僧正((定遍))、見物し給ひけるが、これを聞きて、「いみじ」と思ひしめて、同じ入道右府((源雅定))に対面し給ひけるついでに、このことを語り出で給ひて、「やさしくこそ覚え侍りしか」とありければ、入道殿、「歌は覚えさせ給はじ」とのたまひけるを、「そればかりはなどか」とて、「少将公がもとへ宗順阿闍梨つかはし侍りし、『昨日見しにこそ袖は濡れしか』と詠めるに、少将公、『荒涼(くわうりやう)にこそ濡れけれ』とぞ返して侍りし」と語り給ひけるに、たへがたくおかしく思しけれど、さばかりの生仏(いきぼとけ)のねんごろに言い出で給ひけることなれば、忍び給ひけるなん、ずちなくおはしけり。 和歌の道は顕密知法((「顕密」は底本「顕蜜」。諸本により訂正。))にもよらざりけりと、なかなかいと尊し。昔の遍昭、今の覚忠・慈円などには似給はざりけるにや。 ===== 翻刻 ===== 醍醐の桜会に童舞おもしろき年ありけり源運といふ/s142r 僧その時少将公とてみめもすくれて舞もかたへにまさりて みえけるを宇治宗順阿闍梨みて思あまりけるにやあくる 日少将公のもとへいひやりける  昨日みしすかたの池に袖ぬれてしほりかねぬといかてしらせん 少将返事  あまたみしすかたの池の影なれはたれゆへしほるたもとなるらむ といへりける時にとりてやさしかりけり中院僧正見物し給 けるかこれをききていみしと思しめて同入道右府に対面し給 けるつゐてに此事をかたりいて給てやさしくこそおほえ 侍しかとありけれは入道殿哥はおほえさせ給はしとのたまひ けるをそれはかりはなとかとて少将公かもとへ宗順阿闍梨/s142l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/142 つかはし侍しきのふみしにこそ袖はぬれしかとよめるに少将公 荒涼にこそぬれけれとそ返して侍しとかたり給けるに堪か たくおかしくおほしけれとさはかりのいき仏のねんころにいひ いて給けることなれはしのひ給けるなんすちなくおはしけり 和哥の道は顕蜜知法にもよらさりけりと中々いとたうと し昔の遍昭いまの覚忠慈円なとには似たまはさりける にや亭子院鳥養院にて御遊ありけるにとりかひといふこと/s143r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/143