[[index.html|古今著聞集]] 和歌第六
====== 167 伊通公の参議の時大治五年十月五日の除目に参議四人・・・ ======
===== 校訂本文 =====
伊通公((藤原伊通))の参議の時、大治五年十月五日の除目(ぢもく)に、参議四人、師頼((源師頼))・長実((藤原長実))・宗輔((藤原宗輔))・師時((源師時))等、中納言に任ず。
これみな位次(ゐじ)の上臈なりといへども、伊通その恨みにたへず、宰相・右兵衛督・中宮大夫、三つの官(つかさ)を辞して、檳榔毛(びらうげ)の車を大宮おもてに引き出だして、破り焚きて後、褐(かち)の水干にさよみの袴着て、馬に乗りて神崎の君がもとへおはしけり。今は官(つかさ)もなきいたづら者((「いたづら者」は底本「いたらもの」。諸本により訂正。))になれるよしなり。
また、年ごろ借り置かれたりける蒔絵の弓を、中院入道右府(雅定)((源雅定))のもとへ返しやるとて、
八年(やとせ)まで手慣らしたりし梓弓(あづさゆみ)返るを見てもねは泣かれけり
返し
何かそれ思ひ捨つべき梓弓また引き返す折もありなむ
かかりければ、この返事の歌の((底本「の」なし。諸本により補う。))ごとく((「ごとく」は底本「ことくは」。諸本により訂正。))、ほどなく長承二年九月に、前参議より中納言になられにけり。宇治大納言隆国前中納言((源隆国))、大納言になられける例(ためし)とて、その後うち続き昇進して、太政大臣まで昇り給ひにき。
これは世も今少しあがり、人も才能いみじかりけるゆゑなり。かやうの例はまれなることなれば、今のうちあるたぐひ、学びがたかるべし。おほかたは二条院讃岐が歌を
憂きもなほ昔のゆゑと思はずはいかにこの世を恨み果てまし
と詠める、ことわり((「ことわり」は底本「ごとく」。諸本により訂正。))にかなへるにや。
===== 翻刻 =====
伊通公の参議のとき大治五年十月五日の除目に参議
四人師頼長実宗輔師時等中納言に任すこれみな
位次上臈なりといへとも伊通その恨にたへす宰相右兵衛
督中宮大夫三のつかさを辞して檳榔毛の車を大宮
おもてにひき出てやふりたきて後褐水干にさよみの袴
きて馬に乗て神崎の君かもとへおはしけり今はつかさも/s124l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/124
なきいたらものになれるよし也又とし比かりをかれたりける
蒔絵の弓を中院入道右府(雅定)のもとへ返しやるとて
八年まて手ならしたりし梓弓かへるをみてもねはなかれけり
返し
なにかそれ思すつへきあつさ弓又ひきかへすおりもありなむ
かかりけれは此返事哥ことくは程なく長承二年九月に
前参議より中納言になられにけり宇治大納言隆国前中
納言大納言になられける例とて其後うちつつき昇進
して大政大臣まてのほり給にきこれは世も今すこしあかり
人も才能いみしかりける故也かやうのためしはまれなる
事なれはいまのうちあるたくひまなひかたかるへし大かたは/s125r
二条院讃岐か哥を
うきも猶昔のゆへと思はすはいかにこの世をうらみはてまし
とよめることくにかなへるにや/s125l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/125