[[index.html|古今著聞集]] 和歌第六 ====== 165 嘉応二年十月九日道因法師人々を勧めて住吉社にて歌合しけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 嘉応二年十月九日、道因法師((藤原敦頼))、人々を勧めて住吉社((住吉大社))にて歌合しけるに、後徳大寺左大臣((藤原実定))、前大納言にておはしけるが、この歌を詠み給ふとて、「社頭の月」といふことを、   古(ふ)りにける松もの言はば問ひてまし昔もかくや住江(すみのえ)の月 かくなむ詠み給ひけるを、判者俊成卿((藤原俊成))ことに感じけり。 余(よ)の人々も讃めののしりける((「ののしりける」は底本「しりける」。諸本により訂正。))ほどに、そのころ、かの家領、筑紫瀬高荘の年貢積みたりける船、摂津国を入らんとしける時、悪風にあひて、すでに入海せんとしける時、いづくよりか来たりけん、翁一人出で来て、漕ぎ直して別事なかりけり。船人、怪しみ思ふほどに、翁の言ひけるは、「『『松もの言はば』の御句のおもしろうして、この辺に住み侍る翁の参りつる』と申せ」と言ひて失せにけり。 住吉大明神の、かの歌を感ぜさせ給ひて、御体(ぎよたい)をあらはし給ひけるにや。不思議にあらたなることかな。 ===== 翻刻 ===== 嘉応二年十月九日道因法し人々をすすめて住吉社/s122l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/122 にて謌合しけるに後徳大寺左大臣前大納言にておはし けるか此哥をよみたまふとて社頭月といふことを  ふりにける松ものいはは問てましむかしもかくや住江の月 かくなむよみ給けるを判者俊成卿ことに感しけりよの 人々もほめしりける程に其比彼家領筑紫瀬高庄の年 貢つみたりける船摂津国をいらんとしける時悪風にあひ てすてに入海せんとしけるときいつくよりかきたりけん翁一 人いてきてこきなをして別事なかりけり船人あやしみ 思ふ程に翁のいひけるは松ものいははの御句のおもしろうして 此辺にすみ侍翁のまいりつると申せといひてうせにけり 住吉大明神の彼哥を感せさせたまひて御体をあらはし/s123r たまひけるにやふしきにあらたなる事かな/s123l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/123