[[index.html|古今著聞集]] 和歌第六 ====== 154 天永元年斎宮の群行ありけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 天永元年、斎宮((白河天皇皇女恂子内親王))の群行(ぐんかう)ありけるに、八条太政大臣((藤原実行))、権右大弁にて下られたりけるが、帰り上るとて斎宮に参りて、日ごろつかふまつりつる御名残など、「もし運侍らば、公卿勅使にてまた参ることも侍りなん」と申して、上り給ひけり。 さるほどに、その次の年正月二十三日に、蔵人頭に補して、永久三年四月二十八日に参議に上り給ひにけり。保安三年十二月六日参議右衛門督にて、勅使承りて下り給ひけるが、斎宮へも参らで上られければ、宮((斎宮))よりつかはしける、   昔せしあらましごとの変らぬを嬉しと見えば言はましものを 御返し、   伊勢の海塩干(しほひ)の方へ((底本「方へ」なし。諸本により補う。))急ぐ身を恨みなはてそ末もはるけし ===== 翻刻 ===== 天永元年斎宮群行ありけるに八条太政大臣権右 大弁にてくたられたりけるか帰のほるとて斎宮にまいり て日来つかふまつりつる御名残なともし運侍らは公卿 勅使にて又まいる事も侍なんと申てのほり給けり さる程に其次のとし正月廿三日に蔵人頭に補して 永久三年四月廿八日に参議にのほり給にけり保 安三年十二月六日参議右衛門督にて勅使うけたま はりて下給けるか斎宮へもまいらてのほられけれは宮より遣ける  昔せしあらましことのかはらぬをうれしとみえはいはましものを/s118r 御返し  いせのうみ塩干のいそく身を恨なはてそすゑもはるけし/s118l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/118