[[index.html|古今著聞集]] 和歌第六 ====== 151 平等院の僧正諸国修行のとき摂津国住吉のわたりに至り給ひて・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 平等院の僧正((行尊))、諸国修行のとき、摂津国住吉のわたりに至り給ひて((「至り給ひて」は底本「いたりて給ひて」。諸本により訂正))、斎料(ときれう)((「斎料」は底本「斎て料」。諸本により訂正。))の尽きにければ、神主国基((津守国基))が家におはして、経を読みて立ち給ひたりけり。その声微妙(みめう)にして、聞く人、「誰(た)そ」と見あへりけり。国基、「御斎料奉る」とて、「いづかたへ過ぎさせ給ふ修行者ぞ((「ぞ」は底本「と」。諸本により訂正。))。御経尊く侍り。今夜ばかりは、ここにとどまり給へかし。御経の聴聞つかまつらん」と言はせたりければ、とかくの返事をばのたまはず、歌を詠み給ひける、   世を捨てて宿も定めぬ身にしあれば住吉(すみよし)とてもとまるべきかは かく言ひて通り給ひぬ。 その後、天王寺別当になりて((「て」は底本なし。諸本により補う。))、かの寺におはしましける時、国基参りて、天王寺((四天王寺))と住吉((住吉大社))との境の間(あひだ)のこと申し入れけるに、「しばし候へ」とて、あやしく御前へ召されければ、かしこまりつつ参りたりけるに、僧正、明障子(あかりしやうじ)引き開けさせ給ひて、「あの、『住吉とてもとまるべきかは』はいかに」と仰せられたりけるに、国基、あきれまどひて、申すべきことも申さで、取り袴(ばかま)して逃げにけり。いと興あることなり。 ===== 翻刻 ===== 平等院僧正諸国修行のとき摂津国住吉のわたりに いたりて給て斎て料のつきにけれは神主国基か家に おはして経をよみて立たまひたりけり其声微妙に してきく人たそと見あへりけり国基御斎料たてまつる とていつかたへすきさせたまふ修行者と御経たうとく 侍り今夜はかりはここにととまり給へかし御経の聴聞 つかまつらんといはせたりけれはとかくの返事をはのた まはすうたをよみたまひける  世を捨てやともさためぬ身にしあれは住吉とてもとまるへきかは かくいひてとをり給ぬ其後天王寺別当になり彼寺に おはしましける時国基まいりて天王寺と住吉との/s116l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/116 堺のあひたの事申入けるにしはし候へとてあやしく御 前へめされけれはかしこまりつつまいりたりけるに僧正 明障子ひきあけさせ給てあの住吉とてもとまるへ きかははいかにと仰られたりけるに国基あきれまとひ て申へき事も申さてとりはかましてにけにけりいと興 あることなり/s117r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/117