[[index.html|古今著聞集]] 文学第五
====== 124 康治三年甲子に当たりけり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
康治三年、甲子に当たりけり。例にまかせて革命の定めあるべかりけるに、宇治左府((藤原頼長))、前(さき)の内大臣にておはしけるが、「『周易』を学ばずして、この定めに参らんこと、悪しかるべし」と思して、読ませ給ふべきよし、思し定めてけり。
しかあるを、このことを学ぶこと師あるよし、言ひ伝へたり。また、「五十以後学ぶべし」とも言へり。大臣(おとど)思しけるは、「このこと、さらに所見なし。『論語疏』には、『小年にて学ぶべし』とこそ見えたれ。さりながらも、俗語はばかりあれば((「はばかりあれば」は底本「はしかりあれは」。諸本により訂正。))」とて、二年十二月七日、安倍泰親を召して、河原にて泰山府君を参らせて、みづから祭庭に向かはせ給ひけり。都状にその心ざしを述べられけり((「けり」は底本「るり」。諸本により訂正))。成佐((藤原成佐))ぞ草したりける。
その年、大臣(おとど)は二十四にぞならせ給ひける。文道を重んじ冥加を恐れ給ひて、かくせさせ給ひける、やさしきことなり。
===== 翻刻 =====
康治三年甲子にあたりけり例にまかせて革命の
さためあるへかりけるに宇治左府前内大臣にておはし
けるか周易をまなはすして此定にまいらん事あしかる
へしとおほしてよませ給へきよしおほしさためてけり
しかあるを此ことをまなふ事師あるよしいひつたへたり
又五十已後まなふへしともいへりおととおほしけるは此
事更に所見なし論語疏には小年にてまなふへし
とこそ見えたれさりなからも俗語はしかりあれはとて
二年十二月七日安倍泰親をめして河原にて泰山
府君をまいらせて身つから祭庭にむかはせ給けり
都状にその心さしをのへられるり成佐そ草したりける/s96l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/96
そのとしおととは廿四にそならせ給ける文道をおもんし
冥加を恐たまひてかくせさせ給けるやさしき事也/s97r
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/97