[[index.html|古今著聞集]] 公事第四
====== 105 天慶五年五月十七日内裏にて蕃客のたはぶれありけり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
天慶五年五月十七日、内裏にて蕃客のたはぶれありけり。大使には前中書王の中将((醍醐天皇皇子兼明親王))にておはしましけるをぞなし奉られける、そのほか諸職みなその人を定められけり。主上((朱雀天皇))、村上の聖主((村上天皇))の親王にておはしましけるを、その主領にてわたらせ給ひけり。
かかる昔のためしも侍るゆゑにや、順徳院((順徳天皇))の御位の時、賭弓(のりゆみ)をまねばれける。左京大夫重長朝臣((藤原重長))、六位の青色の袍(はう)を借りて着て、白木の御倚子につきて、主上の御真似をぞしたりける。時正卿、いまだ五位にて侍りける、関白になりたりけり。そのほか、大将以下(いげ)、みな殿上人をぞなされける。重長朝臣、御倚子につきて、御膳に備へたる菓子ならびに鳥の足などを取りて食ひたりける。比興のことなりけり。勝負の舞ひを奏する時、木工権頭孝通((藤原孝通))、一鼓を打ち、蔵人孝時((藤原孝時))、太鼓を打ちける、まことの儀にも劣らずぞ侍りける。猪熊殿((近衛家実))の関白にておはしましける、光明峰寺入道殿((藤原道家・九条道家))の左大臣にておはしましける、召しに応じて参らせ給ひて、御覧ぜられけり。後鳥羽院((後鳥羽上皇))、御熊野詣の間なりけり。
御喜びの後、このこと聞こし召して、「主上の御真似しかるべからず。あまさへ食事、狂々なり」とて逆鱗ありて、按察(あぜち)((「按察」は底本「梅察」。諸本により訂正。))光親卿((藤原光親))を御使(つかひ)にて内裏へ申されたりければ、こと苦くなりけるとなむ。
===== 翻刻 =====
天慶五年五月十七日内裏にて蕃客のたはふれあり
けり大使には前中書王の中将にておはしましけるをそ
なしたてまつられける其外諸職みな其人をさため
られけり主上村上聖主の親王にておはしましけるを
其主領にてわたらせ給けりかかるむかしのためしも侍故
にや順徳院の御位の時賭弓をまねはれける左京大夫
重長朝臣六位の青色袍をかりてきて白木の御倚子/s87r
につきて主上の御まねをそしたりける時正卿いまた
五位にて侍ける関白に成たりけりその外大将以下
みな殿上人をそなされける重長朝臣御倚子につきて
御膳にそなへたる菓子并鳥のあしなとを取てくひたりける
比興事なりけり勝負舞を奏する時木工権頭
孝通一鼓をうち蔵人孝時大鼓を打けるまことの
儀にもおとらすそ侍ける猪熊殿の関白にておはし
ましける光明峯寺入道殿の左大臣にてをはし
ましける召に応してまいらせ給て御らんせられけり
後鳥羽院御熊野詣のまなりけり御よろこひの後
此事きこしめして主上の御まねしかるへからすあま/s87l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/87
さへ食事狂々なりとて逆鱗ありて梅察光親卿
を御つかひにて内裏へ申されたりけれはことにかくな
りけるとなむ/s88r
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/88