[[index.html|古今著聞集]] 政道忠臣第三
====== 79 小野宮殿九条殿御同車にて出仕せさせ給ひける時・・・ ======
===== 校訂本文 =====
小野宮殿((藤原実頼))・九条殿((藤原師輔))御同車にて出仕せさせ給ひける時、御車の後(しり)に公卿一両人なとは乗せらるる折もありけり。また閑院の大将((藤原朝光))・小一条の大将((藤原済時))、左右大将にて同車してあそばれけり。このごろは父子同車のことだにもまれなり。
寛元二年、賀茂の臨時の祭の時、二条の前の殿関白((藤原良実))、一条の前の殿((藤原実経))左大臣にて参り合ひ給ひたりしに、暮れてこと果てにしかば、御同車にて二条室町に立てられ
て、御見物ありけり。その後、法成寺の御八講に参らせ給ひけり。左府の御車を、空車(むなぐるま)にて法成寺へやらせられけり。道のほど、関白の御随身は御車の前(さき)、左府の御随身は御車の後(しり)にぞ打たりける。前駆はあひ交はりたりけり。興あることにぞ、世の人申し侍りし。
===== 翻刻 =====
小野宮殿九条殿御同車にて出仕せさせ給ける
時御車のしりに公卿一両人なとはのせらるるをりも
ありけり又閑院の大将小一条大将左右大将にて同
車してあそはれけりこの比は父子同車の事たにも/s75r
まれなり寛元二年賀茂臨時祭の時二条前殿
関白一条前殿左大臣にてまいりあひたまひたりしに
くれて事はてにしかは御同車にて二条室町にたてられ
て御見物ありけり其後法成寺の御八講にまいらせ
たまひけり左府の御車をむなくるまにて法成寺へ
やらせられけり道の程関白の御随身は御車のさき
左府の御随身は御車の後にそ打たりける前駆はあひ
ましはりたりけり興ある事にそ世の人申侍し/s75l
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