[[index.html|古今著聞集]] 政道忠臣第三 ====== 75 神泉苑正殿を乾臨閣と名付けて近衛の次将を別当にして・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 神泉苑正殿を乾臨閣と名付けて、近衛の次将(すけ)を別当にして、天子常に遊覧ありて、風月の興、絃管の遊びありけり。また、宴飲((「宴飲」は底本「宴領」。諸本により訂正。))も侍りけるを、延喜((醍醐天皇))の御時、天神((菅原道真))の臣下にておはしましける時、いさめ奉られければ、とどまりにけり。 寛平の遺訓((『寛平御遺誡』を指すと思われるが、以下の文は現存本にない。))にも、 >春風秋月、若無実事、幸神泉北野、且翫風月、且調文武。不可一年並幸。又大熱大寒慎之。 >>春風秋月、実事無きがごとくんば、神泉・北野に幸し、且つは風月を翫(もてあそ)び、且つは文武を調へよ。一年に並幸すべからず。また大熱・大寒はこれを慎む。 と侍り。 ===== 翻刻 ===== たまひけるやむことなき事也神泉苑正殿を乾臨 閣と名つけて近衛次将を別当にして天子つね に遊覧ありて風月之興絃管之遊ありけり又/s73l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/73 宴領も侍けるを延喜御時天神の臣下にておはし ましける時いさめたてまつられけれはととまりにけり 寛平の遺訓にも春風秋月若無実事幸神泉北 野且翫風月且調文武不可一年并幸又大熱大 寒慎之と侍り/s74r http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/74